フィリピン移民史、残す 名桜大学 平安座島で聞き取り調査

 【うるま】名桜大学看護学科の下地紀靖准教授を代表とした研究メンバーが、戦前・戦後におけるフィリピン移民の研究を進めている。県民の移動経路や現地の人との交流などを歴史に残すことが目的。4日には、戦前からフィリピンへの移民者がいたうるま市平安座島の公民館を訪ね、住民に聞き取りした。

 研究は名桜大の「人の移動に関する研究」の一環。下地准教授らは東南アジア班として県民のフィリピンへの移動を担当し、3年ほど前から研究を進めている。将来的には電子化して保存するデジタルアーカイブ化も検討しているという。

 下地准教授によると、1908年の米統治下のフィリピンにおける高山道路の開発で、多くの県民が労働者として現地へ渡った。道路開通後はミンダナオ島のダバオへ移り、マニラ麻のプラント事業に従事したという。

 平安座島からの移民は、平安座自治会館の新築記念誌に記録が残っており、大正初期には最初の渡航者がいた。移住先はダバオ地区で、現地では漁業などで生計を立てていた。

 聞き取りには親が移民した人や、90歳を超え、当時の平安座島の様子を知る人など約10人の関係者が参加した。

 平安座生まれの新垣安子さん(71)は「平安座の人たちも当初は契約移民として道の開発の労働者として渡った。初めから漁民として行ったわけではない」と説明。島の歴史に詳しい奥田良正光さん(89)は「フィリピンから戻った人が、当時としては珍しい集魚灯の漁業をやっていたのを覚えている」と記憶をたどった。

 聞き取り後、下地准教授は「平安座の先駆者たちの海外へ渡る勇敢さと先見性に関心した。まだ道半ばではあるが、これまで伝えられていない、人の移動に関する事実を歴史として残したい」と意欲を語った。

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