ずっと同じ道を歩んできた。良いことも、悪いことも、いつも2倍だった。長崎県長崎市滑石1丁目の平山勇武(いさむ)さん(27)の双子の弟、武志(たけし)さんは急性リンパ性白血病と闘い、5月に27歳の若さで他界した。盆の入りの13日、勇武さんはいつものように心の中で話し掛けた。「元気にしてるか」
一卵性双生児で初対面の人には見分けがつかなかった。同じ日に同じ漫画本を買ってきてしまうなど、双子の以心伝心みたいなものを感じたこともあった。けんかはしても、互いにとって一番の理解者だった。
小学5年から高校まではサッカーに夢中。ともに守備的ポジションで左右のサイドバックを任されたりもした。卒業後は名古屋にある自動車整備の専門学校に一緒に進学。その後、勇武さんは長崎で、武志さんは福岡で整備士として就職し、仕事で悩めば電話で相談し合った。
そんな日々に暗雲が広がったのは、社会人2年目、24歳の夏だった。
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微熱が続き、体の節々を痛がり始めた武志さん。下宿先で倒れ、診断を受けると急性リンパ性白血病だった。家族から電話で病名を聞いた勇武さんは「今の医学だったら治るだろ」。そう信じていた。
実際、抗がん剤治療が効き、半年後には職場復帰。だが、3カ月後、股関節に激痛が走る。白血病が再発していた。長崎の病院に転院し、骨髄移植を受けるも回復は思わしくなかった。
昨年7月。「今月いっぱいです」。余命宣告-。勇武さんは初めて弟の死を覚悟した。12月初旬に「年が越せない」と2度目の宣告。そこから症状は良くなったり、悪くなったりを繰り返した。
今年5月6日、1日だけ外泊許可が出た。武志さんは事前に、無料通信アプリLINE(ライン)で高校時代の担任と友人に連絡を取っていた。勇武さんも含めた4人で外食。刺し身や焼き鳥を食べながら2時間、たわいもない会話を楽しんだ。
その2日後、ラインを送っても武志さんから返事がこなくなった。
14日に病室に行くと、もう会話はできない状態に。帰る間際に「ぼーっとすんなよ」と話し掛けると、武志さんは小さくうなずいた。16日の深夜1時ごろ。母からの電話で病室に急ぐと、既に息を引き取っていた。
「よく頑張ったな」 声にはならなかった。
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弟がいなくなって、日常が大きく変わったわけではない。「あいつだったらどうしてたかな」。たまにそう考えてしまうとき、ちょっとだけ涙が出そうになる。
15日の精霊流しのため、船を用意した。サッカー部の仲間も駆け付け、送り出す予定だ。しめやかになるだろうけど、少しは楽しく送り出してあげたいな、と思う。
精霊船が出来上がった13日、遠方から名古屋時代の友人たちが武志さんに“会い”に来た。彼らにカメラを向けると、一人が言った。「武志も笑ってるし、笑おうや」。遺影の笑顔に励まされるように、みんな笑った。