原爆忌文芸大会 記憶たどり反戦、平和つづる 俳句、短歌、川柳 高齢者ら思い込め

 ひとつふたつひらがな覚えし五歳児と砂に書きゆく「へいわ」という文字
 曝す書の中に被爆の覚書
 語り継ぐ被爆禍時効などは無い

 俳句、短歌、川柳を通じて反戦反核、恒久平和の願いを込める第56回原爆忌文芸大会は12日、長崎市内で開かれた。県知事賞は▽選者選俳句「曝す書の中に被爆の覚書」(島原市・石山敏郎さん)▽同短歌「ひとつふたつひらがな覚えし五歳児と砂に書きゆく『へいわ』という文字」(西海市・山里和代さん)▽同川柳「語り継ぐ被爆禍時効などは無い」(長崎市・中村忠夫さん)-が、それぞれ選ばれた。

 ジュニア俳句は「青い空大事に守ろう原爆忌」(長崎市立戸町中2年・藤山なずなさん)、同短歌は「『ありがとう』『ごめんなさい』の一言で広がる笑顔つながる平和」(同2年・吉村爽良さん)が県知事賞。
 応募数は、俳句288句(71人)、短歌60首(39人)、川柳129句(37人)、ジュニア俳句188句、同短歌96首。
 長崎国際文化協会(宮脇雅俊会長)主催、長崎新聞社など後援。115人が大会に出席し、原爆犠牲者に黙とう。久保美洋子・同協会副会長は「賞をもらうということは思い出をいただいたということ。そう思えば喜びも大きい」とあいさつ。和やかな雰囲気の中、受賞者に賞状と盾を贈った。
 短歌の山里和代さん(75)は取材に対し、「平仮名を覚え始めた5歳のひ孫に、平和という言葉を教えようと砂浜で『へいわ』と書いた。意味はまだ分からなくても、言葉から伝えていきたい」と継承の思いを語った。
 川柳の中村忠夫さん(89)は、1946(昭和21)年、以西底引き網の漁業従事者として徳島から長崎に移住。被爆から1年当時の長崎を振り返り「県庁は焼けたままで、あの辺りから焼け野原が360度見渡せた」と話した。数十日の漁から長崎に戻る度に復興が進んでいったことを覚えているという。受賞作品について「読んだ通りです」と語った。
 俳句の石山敏郎さん(89)は電話取材に対し、「45年当時は学徒動員で三菱造船にいたが8月1日配置転換になり長崎を出た。そうでなければ私も被爆していただろう」と記憶をたどり、「いろんな本を風通ししていると、挟まっていた被爆に関する昔の自分のメモが出てきた。生かされた喜びを込めて詠んだ」とした。
 俳句、短歌、川柳は、それぞれの会場に分かれ、合評や当日句の互選などがあり、高齢の参加者が被爆の記憶などを語る場面も。
 短歌会場で、入賞は逃したが「紫の斑点まとい逝きし叔父七十余年の我が目に褪(あ)せず」を詠んだ、長崎市の山本睦子さん(82)が発言。被爆当時9歳で、西山の防空壕(ごう)に逃げてきた叔父が、やがて皮膚に斑点を浮かせて亡くなったこと、叔父が残した3人の子どもがその後、苦労して人生を歩んだことなどを話した。

和やかな雰囲気の中、平和希求の思いを込めた俳句、短歌、川柳の受賞者を表彰した第56回原爆忌文芸大会=長崎市茂里町、長崎ブリックホール

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