平和祈る折り鶴乗せ 被爆者・谷口稜曄さんの精霊船

 核兵器廃絶運動をけん引し、昨年8月、88歳で旅立った長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんの精霊船(全長8・5メートル)は、色とりどりの折り鶴で彩られた。若い世代への継承活動などに取り組み、国内外で核廃絶を訴え続けた谷口さん。平和を願う数え切れないほどの折り鶴は、被爆講話を聞いた全国各地の児童や生徒らが生前の谷口さんに贈ったものだ。
 谷口さんは、郵便局員だった16歳の時、長崎の爆心地から1・8キロの住吉町で被爆。熱線で背中に大やけどを負い、生死をさまよったが、奇跡的に命を取り留めた。戦後は被爆者運動の立ち上げに加わり、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)会長を務め、活動は海外にも及んだ。
 船は長男、英夫さん(58)が、稜曄さんと親しかった大工の指導を受けて製作。「家では運動の話はしなかった。普通の頑固おやじだった」。そう振り返る英夫さんは、こうも思った。「頑固だから、あれだけのことをやれたのでは」-。そんな父親に恥じないものを造ろうと準備を進めてきた。屋根には孫たちが針金で作った折り鶴も飾られ、長女、寺坂澄江さん(61)は「皆さんの平和への気持ちを船に乗せた」と話す。
 今回、遺族は周囲から、より多くの人に送り出してもらえるよう、沿道の人出が多い市中心部での精霊流しを勧められたが、「ずっとこの地で暮らしてきた。昔から思い出が深い」(澄江さん)として、大鳥町の自宅から旭町の流し場までのコースを練り歩くことにしたという。英夫さんは船に飾られた谷口さんの遺影を見つめ、「核廃絶が実現し、おやじのように苦しむ人が一人でも出ないように」と願った。

色とりどりの折り鶴で彩られた谷口さんの精霊船=長崎市大鳥町

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