個人史から見る戦争の実相 横浜市史資料室、日記や手紙の調査重ね

 うっすらと黄ばみ、端々が茶色くすすけた紙質が歳月の長さを感じさせる。日付は「昭和20年8月15日」。横浜市南区の故・小黒英夫さんの日記は、この国の転換点となった一日を10代の目線で伝えていた。

 〈正午に重大なるニュースがあるといふので、みんな落着かず、たゞ自分の意思などを語るのみ〉

 不安な心持ちを伝える書き出しに続き、米軍機による空襲が記述され、最後に一言。

 〈大東亜戦争終結の大詔(たいしょう)下る〉

 欄外にはみ出るほどひときわ大きく、太く、そして赤く記された文字が、敗戦を知った時の衝撃を雄弁に語る。

 果たして玉音放送が流れたその日は、小黒さんの価値観を大きく変える日でもあった。戦後、市内の映画館での洋画鑑賞をきっかけに、敵国だった米国への憧れが芽生え、以来、どっぷりと漬かった。

 遺族から日記の原本を寄贈された横浜市史資料室の羽田博昭調査研究員(60)が読み解く。

 「8月15日を挟み、軍国少年だった小黒さんがわずか1、2年で米国文化に染まった。当時の若者たちの心情が表れています」

 

 横浜大空襲や戦災研究で知られる羽田さんはいま、市民から寄せられた個人記録の調査に力を入れる。それは、戦後73年という時間の経過と無縁ではない。

 2015年の戦後70年の節目をきっかけに、戦争体験者の日記やアルバム、手紙などが大量に持ち込まれるようになった。体験者の子ども世代は親が遺(のこ)した品々を、家族の大切な思い出とともに抱きしめながら生きてきた。しかし、受け継ぐべき孫世代は関心が薄い。羽田さんも子ども世代だ。自身と重なる後世に遺したいとの切なる願いが、地道な研究を後押しする。

 これまで語られてきた歴史は国家のそれであり、個人は存在しなかった。戦争は国家間で行われたものと見なされ、個人は埋没し、置き去りにされていた。

 「しかし資料をひもとくと、『国民』『市民』という言葉で一括りにされる人々にも、それぞれ名前があり、日々の暮らしがあり、それら数多の人生が折り重なって街の歴史を形作っていた」

 例えば戦時中を横浜で過ごした姉妹の記録からは、開戦わずか数年で生活が激変した実態が浮かび上がる。姉はモダン文化の薫りが残る中で女学生時代を迎えたが、やがて戦時体制が強化されてモンペ姿になった。妹は姉が楽しんだ遠足や修学旅行すら行けなかった。

 わが子への愛情をつづった父親の軍事郵便、夫を待ちながら4人の子どもを必死で育てる母親の短歌-。市史資料室にはいま、個人の人生を彩った30万点以上の資料が寄せられている。

 従来の研究はまた、被害や悲惨さに注目し、多くの人々が体験したその一瞬を切り取ることが主流だった。

 「しかし、例えば空襲があったその日だけが戦時なのではない。戦争の影がひたひたと日々の暮らしに忍び寄り、浸食し、やがて戦禍をもたらす。そして、父親を亡くした一家が困難を強いられるように、戦火が消えてもなお人々の生活を侵し続ける。それら一連の流れがすべて戦争です」

 羽田さんはここでもまた、「個人や家族を歴史の中で位置付けてこなかった」と悔いる。

 資料と向き合う日々は地味な作業の繰り返しだ。しかし、目を凝らし、耳をすませば、物言えぬ人々の暮らしが浮き彫りとなり、息づかいが聞こえ、やがて戦争の実態が見えてくる。

 「大局的な分析とともに、個人史に引き付けることで戦争がよりリアルに、より身近に受け止められ、やがて我が事になる。戦争の実態を捉え、平和の尊さをつなぎたい」

■家族写真から考える「昭和」 横浜市中央図書館で展示

 歴史の細部から全体を見ていこうとする歴史研究の手法「マイクロ・ヒストリー」を取り入れた横浜市史資料室の展示会「横浜の昭和を生きた人びと-家族と歩んだ戦前~戦後-」が市中央図書館(同市西区)で開かれている。9月17日までで入場無料。

 資料の中から家族の写真とアルバムに注目。出征した兵士と家族、戦後に米国文化を享受した若者などを取り上げる。

 関連した講演会「家族の記録から見る横浜の近現代史」は8月25日午後1時から。羽田博昭調査研究員による展示解説と、家族や個人の資料に触れてきた横浜開港資料館の吉崎雅規調査研究員、横浜都市発展記念館の西村健調査研究員が講演。各研究分野から昭和を生きた人々の思いや当時の世相、都市生活などを紹介する。定員160人(当日先着順)で参加無料。

 問い合わせは同室、電話045(251)3260。

「家族の歩みから横浜の歴史をひもときたい」と話す羽田さん=横浜市史資料室

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