気鋭の監督が描く「恋のやらかし」映画 『寝ても覚めても』

濱口竜介監督

 芥川賞作家・柴崎友香の同名小説を映画化した『寝ても覚めても』は、今を時めく東出昌大さん主演も話題の作品ですが、今後の日本映画にとって、もっともっと大きな話題は、監督の濱口竜介さんの存在です。

“子供だまし”の恋愛映画ばかりが量産される昨今、この作品が描くのは、魔法とも呪いともいえる「恋愛の不条理」。主人公の朝子は、学生時代に出会ったどこか現実離れした不思議な男性・麦(ばく)と、彼が理由も言わずに消えた3年後に出会った、同じ顔の別人・亮平の間で揺れ動きます。

 映画は本当に自然な演出と演技で、主に朝子と亮平の穏やかな日常を描いてゆくのですが、後半には「えええっ!?」という驚きの急展開が。不穏なラストには、カンヌ映画祭では「恋愛映画と思ったら、ホラーか!」という声も聞かれたとか。

 今回は映画ライター渥美志保が、その濱口竜介監督のインタビューをお送りします。

●「恋愛映画かと思ったらホラーか!」と突っ込まれる、オドロキの恋愛映画

――この作品のラストを、濱口さん自身はどのように理解しましたか?

濱口竜介(以下・濱口):ラストはある1組の男女のテイクオフという感じでしょうか。不確かな未来を一緒に生きていく、というところにたどり着いたのではないかと。目の前に選択肢として未来のうちどちらが「より安定しているか、信じるにたるか」ということではなく、非常に不確かではあるけれどそれでもかまわない、それを選ばざるを得ない境地にある、というようなことでしょうか。

――ラストに向けての朝子の「やらかし」には、「そんな子だったのか……」と茫然としてしまいました。

濱口:普段はごく淡々と、社会と調和しながら生きている人が、こと恋愛となるとやらかしてしまうんですよね。恋愛ってそういうものだし、それは多くの人が納得できることとしてあると思います。あいつが!やっちまったか!みたいな(笑)。

――「寝ても覚めても」は原作小説のタイトルですが、すごく象徴的ですね。

濱口:「夢でも現実でも、24時間あなたが好き」という、すごく恋愛映画っぽいタイトルですよね。登場する二人の男性、一般的には「麦=夢」「亮平=現実」で、夢vs現実みたいに思えるし、それ以外にも「日常と非日常」「安定と不安定」のような、相対するふたつの世界を連想させると思います。でもそれらふたつは、必ずしもはっきりと分かれてはいないと思うんですよ。ふたつの世界に境界線なんてなく、同時に存在しているんじゃないかと。麦と亮平に関しても、最終的にはどっちがどっちとは言えない気がします。

――原作にはない震災を盛り込んだことで、そのことがより明確になっている気がします。監督ご自身は震災の経験を経て、映画作りにおいて何か変化はありましたか?

濱口:「日常と非日常が非分離であること」は、それ以前からおぼろげに感じていたことですが、確信に変わったのは、やはり震災以降ですね。映画作りにおける変化は特にはありませんが、ただ現地に行って見てしまったことは、ずっとひっかかっています。簡単に言えば、「忘れてはいませんよ」ということを表現したくなる、ということでしょうか。

●独特の演出法――「心の鈴を鳴らしてください」?

――俳優さんたちの演技が驚くほど自然です。監督には「ニュアンスを抜いて(抑揚やリズムを取り除いて、電話帳を読むように)」セリフを言わせるという独特の演出方法があるそうですね。

濱口:震災をきっかけにドキュメンタリーを3本とったのですが、その時にカメラの前に立った普通の人たちが、時に役者以上に魅力的に思えることがあって。「これをフィクションで実現するには」と考えるようになり、そこから実践するようになりました。

――東出さんにお話を伺った時、「ニュアンスを抜いて、相手の心の中の鈴を鳴らしてください」と言われ、「今鳴ってません」「今鳴らしすぎ」という演出だったと。なんだかポエムな方で、ポエム的な意味があるのかと。

濱口:「心の鈴を鳴らしてほしい!」とは言ってないです(笑)。心の中でなく、お腹のあたりに鈴が垂れているとイメージしてください、と言うんです。そのイメージによって、こちらが理想としているような発声の状態に近づくというか。身体の使い方が変わるんです。ワークショップなんかでいろいろやってみて、「そうそう、こういう声」って思えることがあって。「鈴」の話は誰に言ってもそれなりに自分の目指す発声になる、少なくとも近づいていく感じがありました。

――身体の使い方という意味でしょうか?

濱口:まあ身体の使い方もありますが、そういう発声だと、どうも役者さんがセリフが覚えやすいような印象を持っています。歌詞なんかが覚えやすいのは抑揚とリズムがあるからで、逆を言うとニュアンスをぬいた状態でセリフを覚えるのがすごく難しいんです。だからその中で覚えやすくする方法として、そういうイメージを持ってもらってもらうようにしました。

どちらかというと大事なのは、セリフのニュアンスを決めずに現場に来てもらうことなんです。セリフが持つ意味や感情って、相手がどう出てくるか分からない状態で、前もって決められるものじゃないじゃないですか。意味や感情は「場」に対して生まれてくるものなので、「場」に反応してもらう準備としてやってもらっている感じです。

――なんとなく「鈴」の謎が分かりました。

濱口:大丈夫ですか。オカルティックになってませんか(笑)。

●初参加したカンヌ映画祭

――今年のカンヌ国際映画祭ではレッドカーペットを歩かれましたね。映画監督のひとつの到達点と言えると思いますが。興奮のようなものはありましたか?

濱口:もちろん、それなりには。「レッドカーペット歩いてるわー」とか「スタンディングオベーション起きたー」とか。これが噂のあれか!という気持ちにはなりましたが、まあ慣れない場所というか。

――パルムドールを獲得した是枝さんと、何かお話をしたりとか?世界的な女優さんや俳優さんが「見たよ!」と近づいてくる、みたいなことは?

濱口:是枝さんとは実のところまだ一度もお会いことないんですよね。現地でも誰かが紹介をしてくれるということもなかったので。一般の観客の方が近づいてきて感想を下さることはありましたが、それは他の映画祭と同じですし。チャン・チェンが寄ってきた、レア・セドゥが寄ってきた、みたいなことはなかったです(笑)。

――日本映画の製作現場はブラックワークですし、少し上の世代から同世代まで、自由な創作の場を求めて海外に行かれる方も増えていますよね。濱口さんはどうでしょう。海外を意識することはありますか?

濱口:日本から出ていくことはないと思いますが、海外との共同製作は、映画製作において未来のあることかなと思います。やっぱり自分の作品が長く見返されるものとして残ってくれたら嬉しいという気持ちはあって。だから今の日本の文化と関わりのない、地域として離れた場所でも受け入れられるかどうかというのは一つの試金石と感じます。「今の日本のお客さんはこういうのが好きだから」というものより、現代日本の共通認識が理解されない場所でも伝わるものにしたいなとはいつも思っています。

――非日常と日常は非分離、次の瞬間にどうなるか分からないから、その時の気持ちに正直に行動する朝子を貴いと思う。そういう考え方は、濱口さんの映画作りのモチベーションに通じるものはありますか?

濱口:「今そのようにしかできない」というような境地は存在すると思うんです。「ほんとうにそうとしかできないのか?」という問いはどこまでもありつつ、それでも「絶対にこれでは嫌だ」とか「こうしたい」というのはあります。そういうのは。他の人には説明できないけれど、そういう状況にある自分を大事にしていかないと、人間関係は破綻してしまうだろうし、仕事に関しても続いていけないと思います。

――「明日には日本がなくなるかもしれない」と思ったら、無駄な映画を撮ってる暇はないと言うような?

濱口:無駄はないとは思いますよ。いろいろな映画を撮ることも大事ですし。ただ少なくとも自分が面白くないと思うものに関っている時間はないなと思っているところはあります。面白い映画が撮りたいと思います。そのためには実は、失敗できる環境で撮りたいなとは常々思ってるんですが。そういう映画を撮れる環境を、自分で作ったり、選んだりしていかなきゃいけないなと。それが海外ということも、あり得る時代だなと周囲を見ても思います。

 『寝ても覚めても』は9月1日から全国公開。

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