アスリートと現役生活の関係とは F1、元総合王者アロンソの引退発表に思う

今年6月に行われたルマン24時間で優勝し喜ぶアロンソ=TOYOTA GAZOO Racing

 8月15日、サッカー日本代表で活躍しオーストラリアAリーグの強豪であるメルボルン・ビクトリーに加入した本田圭佑が入団会見を行った。この場で本田は「引退を考えた」ことを明らかにしたが、どのスポーツ競技のどの選手においても「引退」は必ず訪れる、いわば避けられないものだ。

 それを決めるタイミングは人それぞれだ。例えば、プロ野球の王貞治。通算868本もの本塁打を放った日本が世界に誇るスラッガーは、1980年11月4日に現役引退を表明したとき、その理由を「王貞治としてのバッティングができなくなった」と語った。しかしながら、その年の本塁打数は30。とても引退する数字ではない。王はトップクラスの打力を残したままの引退したのだ。

 一方、あくまでも現役にこだわり続ける選手もいる。代表格がともに大リーグでも成功した野茂英雄や松坂大輔。今に続く日本人大リーガーの先駆けとなった野茂は現役生活の晩年、マイナー契約やシーズン途中での解雇といった屈辱にも負けず、投げ続けた。そして、今季から所属する中日で5勝を挙げる(8月16日現在)など復活を感じさせる投球を続けている「平成の怪物」松坂も、大リーグ時代も含めるとおよそ4年間、勝ち星から遠のいていた。アスリートの引退とは、まさに自分自身との対話の先にあるのだろう。

 F1は現在3週間の夏休み期間。本来は静かであるはずのこの時期に、世界中に衝撃が走るニュースが流れた。マクラーレンに所属するフェルナンド・アロンソが今シーズン限りでのF1引退を正式に表明したのだ。アロンソはツイッターで14日に何かニュースがあると予告していた。これを受けて、引退の可能性がささやかれていたが、それが現実となった格好だ。

 フェルナンド・アロンソは、81年生まれのスペイン人ドライバー。2001年にミナルディからF1デビューを果たすと、翌年にはワークスチームとしては17年ぶりにF1へ復帰したルノーのテストドライバーへ。そして、03年にレギュラードライバーへ昇格した。すると、第2戦マレーシアGPの予選でポールポジション(PP)、決勝では表彰台(3位)に乗った。そして、第13戦ハンガリーGPでは初優勝を飾って見せた。これら(PP、表彰台、初優勝)はいずれも当時の最年少記録だ。

 一躍トップドライバーとなったアロンソは2005年、5年連続で総合王者と製造者部門を独占するなど当時最強とされた「フェラーリ×ブリヂストン×ミヒャエル・シューマッハー」という組み合わせに、「ルノー×ミシュラン×アロンソ」で競り勝ち、初の総合王者を獲得した。続く06年もシューマッハーとの争いを制して、2年連続の総合王者に輝いた。

 アロンソの特徴とは何か。それは、決して最強とは言えないマシンであっても卓越したドライビングセンスで勝利をもぎ取るところ。つまり、ドライバーが主役となる走りにある。それゆえ当時、最強ドライバーだったシューマッハーと互角に戦える存在だった。

 しかし、07年にチャンピオンチームのルノーを離脱。その後、マクラーレン、フェラーリ、再びマクラーレンと、常に三度目の年間王者を目指してチームを移籍したが、その夢はかなわなかった。そして今回の引退発表。今年、アロンソは、世界耐久選手権(WEC)を戦うトヨタに加わると、伝統の自動車耐久レース、ルマン24時間で優勝した。現地で見たアロンソは心の底から笑顔だった。

 勝てるチームでの仕事と喜び。それを再確認したからこそ、F1引退を決意したのか? それは誰にもわからない。ただハッキリしているのは、時の流れは誰にも止められないという現実だ。残り半分となったF1シーズン、一時代を築いたアロンソの走りを、この目に焼き付けたいものだ。(モータージャーナリスト・田口浩次)

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