平成元(1989)年の主な出来事

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 本島長崎市長の「天皇発言」に対する賛否の動きは年明けも継続した。反対派の行動は脅迫状の送付、市庁舎への銃弾打ち込みと次第にエスカレートした。5月以降の中国人難民ラッシュは外国人労働者の受け入れという国際的課題を浮き彫りにした。秋、長崎市民を恐怖と不安に陥れ、繁華街に閑古鳥を鳴かせたのは暴力団の抗争事件だった。年末には県北の基幹産業、SSKの役員内紛劇に捜査のメスが入った。
 80年代を締めくくるにふさわしく、県の大型プロジェクトに大きな動きがあった。着工から16年の歳月と1300億円の巨費をかけた新長崎漁港がついにオープンした。入れ替わりに諫早湾干拓事業が構想から37年を経て着工にこぎつけ、平成12年の完成を目指した。
 ハウステンボスをはじめ各地の大型リゾート構想も実現に向けつち音が響いた。トップを切って夏開業したのはスポーツリゾート「ルネサンス長崎・伊王島」。長崎旅博はいよいよ秒読み。松ヶ枝岸壁にメイン会場が姿を現した。
 交通網の整備も急ピッチで進んだ。武雄―佐世保間の西九州自動車道が全線開通し、長崎自動車道も年明け早々の供用開始が決まった。ハイウエー時代の本格的到来をにらむように、バス会社は競って長距離バスの運行を開始した。海上では超高速旅客船ジェットフォイルが長崎―韓国・済州島間も就航した。
 夏の参院選では社会党の女性新人候補が圧勝。“追い風”“マドンナ旋風”が長崎でも吹いた。被爆から44回目の夏、長崎では国際会議がめじろ押し。高らかに平和を訴えた、90年代に向け、長崎県は活発に動き出した。