『正しい女たち』千早茜著 「正しい」は果たして正しいのか?

 秀逸なタイトルである。多くの女たちは「自分は間違っていない」を確かめながら生きている。女友達とケンカした。でも私は間違っていない。仕事でしくじった。でも私のミスではない。家族がいる人を好きになった。でも略奪したいわけじゃないから間違っていない。本書は、そんな女たちを主人公にした短編集である。

 不倫に傷ついた幼馴染を救うべく、立ち上がる女の物語『温室の友情』。30代女の「友情」って実はとても危うい。「相手のため」を語りながら、実際は「自分が孤独にならないため」に友情を振りかざす。何をどうしたって人は孤独なものなのだと、彼女たちはまだ信じたくないのだ。

 「結婚した相手としかセックスはしたくない」。そんな女が登場するのは『偽物のセックス』である。主人公の男が彼女に惹かれ、あとをつけ、どんどん思いつめて、彼女に自分とのセックスを懇願する。そんな彼に、女が言うのだ。「いますぐ、奥さんとしてきて。正しいセックスができるってことを証明して。そうしたら、話くらいは聞いてあげる」。

 「正しい」は強い。だって、正しいんだから。「自分は正しい」、それだけで相手を貶めることも、絶望させることもできる。

 とても幸福な夫婦の朝が描かれているのに、タイトルが『幸福な離婚』なものだから、少し混乱する。けれど、夫婦が危機的状況にあったことはすぐ知れる。こんなに結びつきあっているのに、妻は不倫をした。妻の転勤に合わせて離婚をすることにして、それまでの数ヶ月は穏やかに過ごすことを決めるふたり。その日々があまりにも美しすぎて、離婚なんてやめちゃえばいいのに、と思う。

 人は、「正しい」を貫かなくちゃいけないだろうか。どんなに通じ合っていても。

『桃のプライド』と『描かれた若さ』の主人公たちは、自分自身に倦んでいる。年相応に出世していく幼馴染と交わす浅い会話や、結婚が迫り来る現状のすべてにげんなりしている。

 全面的に、すみずみまで「正しく生きる」なんてことは、不可能じゃないかと、ふと思う。だって世界はそんなに整ってはいないから。世界は矛盾でできているから。それでも「正しい」は突然、善人顔でやってきて、大いに暴力をふるってゆく。私たちは、私たちの「正しさ」で、日々を重ねていくしかないのだ。

(文藝春秋 1500円+税)=小川志津子

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