第28回:表層的なダイバーシティが散見されている

厳しい暑さが続く今夏。お盆ウィークも過ぎるころとなり、いわゆる「夏休み」も終わろうとしています。

その夏休み。複数の自治体で、公立小中学校の教職員が16日間取得という画期的な試みを実現しました。これは、ダイバーシティで言えば、まさに働き方改革の一旦でしょう。

また、某医大で明るみになった、医学部入試女子学生減点問題について、ダイバーシティで言えば、女性活躍推進にそぐわず、時代遅れという見方ができます。

しかしいずれも、学校・医療という現場を鑑みれば、単に表層的な面でしかありません。

例えば、医学部に女子入学制限はあって当たり前です。明治時代には、医学部は男性専用の学校でした。ところが、これに反旗を翻したのが日本初の女医である荻野吟子です。

婦人科を自身が受診した時に男性医師に診てもらったことがとても嫌で、自分が医者になると志しましたが、「前例がないから」と受験を断られます。そこで彼女は、平安時代から女性医師が日本にはいたという文献を見つけて来て、大学に突き付け、入試を受けるに至ったわけです。

時代は過ぎて平成になると、どこの医大でも女子の比率は3割。日本にある医学部79校のすべてが、女子の受験者数がそんなに少ないということなのでしょうか。しかも、どこの大学も女子の比率がほぼ同じというのは、申し合わせているとしか考えられません。

女子は成績の上位から30人程度しか取っていなかったと説明されれば納得です。ある大学ではどの学年もクラスに10人しか女子がいなくて、明らかに女子を10人しか取っていないことは周知の事実とも言われています。

どうして男性医師が多く取られているのでしょうか。結論から言うと、医師は肉体労働であるとともに感情を切り離して考えられる男性に向いている仕事だからです。

まず、医師は肉体労働です。働き方改革と言っていますが、大学病院では当直が月複数回、1回の当直に付き勤務拘束時間は36時間前後に上ることもあり、完全な休みは月に3日あるかないかです。

それが良い悪いではなく、当直の時間帯には、夜間しか空いていない病院を頼って患者さんが山の様にきて、入院患者さんも突如具合が悪くなる。急変や急患は時間を選んではくれません。それらにすべて、対応するのです。「ちょっとご飯を食べているので、後にして下さい」は通用しません。医師が行かなければ消える命もそこにあるのです。

医師法19条には「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」とあります。言い方を変えれば、食事や仮眠のためには医師は患者さんを断れないのです、現時点で医師には労働基準法が適応されておらず、医師法によって無限に働き続けなければならないわけです。

この肉体労働を、男性よりもそもそも筋肉量が少ない女性が同等に担うというのは可能でしょうか。合わせて、人の命を扱うということの重みがあります。

自分の判断で目の前の人が生きるか死ぬか判断を迫られます。判断次第で、重篤な事態を招き、自責の念が残り、それは積もっていくのです。ときに、フラッシュバックして手が止まりそうになります。強靭な精神力が必要なのです。

特に女性は感情豊かで同情しやすい、制限ある難関を突破した女性は生真面目で決して柔軟な強さを持ち合わせているとはいえません。彼女たちには、酷な現場です。

つまり実状、この精神的肉体的重労働の環境で女性が男性と同等に働き続けることは難しいということです。

では実状のまま、女子医学生・女性医師が多くなっていったらどうなるのでしょうか?
医学部定数は決まっていますから、相対的に男性医師の数が減ります。現実問題として、女性医師がやむを得ない理由(妊娠・出産・子育てを含む)で休業することを埋めているのは男性医師です。実状では女性医師が少ないのでそれで回っています。

女性医師が増えると休業が増える、男性医師の負担は大きくなる、という図式は普通に見えてきます。

医療というフィールドで女性が活躍するには、国の医療制度とパラダイムそのものが変わらないと実現しません。AI病院、ぜひたくさん作って下さい!女子の減点をなくすのはそれからです。

医療制度とパラダイムが現状のままで、女性医師数が増えていったら、医療自体が崩壊しますから。

このような医療現場での実状は、少々極端かもしれませんが、建設業での工期が限定された現場、IT企業での人的対応が回避できない深夜のバグなど、実は、他業種でも散見されています。

それらを解決できるパラダイムシフトが喫緊に欠かせないことでしょう。それでこそ、真のダイバーシティなのです。

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