与謝野晶子祝辞の原稿 亀の井ホテル20周年用 下書きか

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原稿を所蔵する曽根周子さん。「労を惜しまず動き回った熊八の人柄が伝わり、多くの文人が訪れた当時の別府の雰囲気も感じられる」と語る
与謝野晶子が書いたとみられる祝辞の原稿の一部。訂正の跡なども確認できる

 別府市を訪れた歌人の与謝野晶子(1878~1942年)が亀の井ホテル20周年の催しのために下書きしたとみられる祝辞の原稿が見つかった。ホテル創業者で別府観光の礎を築いた油屋熊八との交流の深さが感じられる内容。熊八の仲間だった男性の親族が保管していた。専門家は「両者の関係性がよく分かる貴重な資料」と評している。

 熊八は1931(昭和6)年10月、ホテルの記念事業として市公会堂で手のひらの大きさを競う「全国大掌大会」を開催した。晶子は夫の鉄幹と出席。祝辞は原稿用紙にペンで書かれ、大会後に開かれた内輪の宴席で読んだとみられる。

 〈只今(ただいま)では、外国人も日本を旅行するプログラムのなかに、別府の見物と滞在とを加へて、此地(このち)に遊ぶことを楽む者が、年毎に殖(ふ)えて参りますから、亀の井は世界的なお仕事に奉仕なされるのであると存じます〉

 〈いつでも片時の間(ま)も休まずに活動してお出になるお姿を思い浮べる〉

 晶子は熊八が心血を注いだ観光事業の意義を高く評価。旺盛な行動力を敬う姿がうかがえる。

 〈先年初めて別府へ参りまして、亀の井に泊めて頂きました以来、油屋氏とお親しい御交際を願つて居ります〉〈この夏、東京へお上りになつた油屋氏が、わざわざ郊外の私の宅までお訪ね下さいまして、二十年のお祝の会に出席せよとお勧めが御座いました〉

 泉都を訪問した経緯に触れ、以前から交流があったことも分かる。

 原稿は熊八の仲間で同ホテルを切り盛りしていた曽根末松さんの息子(故人)の妻・周子(かねこ)さん(85)=別府市=が所蔵。今夏まで周子さんの義姉・井上セツさん(96)が宮崎県内の嫁ぎ先で保管していた。「別府にあってこそ価値がある」とセツさんが希望し、受け取った。

 周子さんは「労を惜しまず動き回った熊八の人柄が伝わり、多くの文人が訪れた当時の別府の雰囲気も感じられる。大事に残していきたい」と語る。

 別府大文学部長の飯沼賢司教授(64)は「晶子の心情や熊八との関係性がよく分かる。文化と観光を結び付けて別府ブランドの向上を図った熊八の優れた手腕と、その側面がうかがえる貴重な資料だ」と話している。

<メモ> 油屋熊八(1863~1935年)は愛媛県出身。地獄めぐりの遊覧バス運行や富士山頂での別府宣伝など、湯の街の観光発展に多大な功績を残した。