オリックスに多い「野手」から「投手」への転向 育成・張奕は常識を覆せるか

オリックス・張奕【写真提供:オリックス・バファローズ】

オリックスに多い投手への転向例 嘉勢氏は野手と投手を往復

 オリックスの育成・張奕選手が、外野手登録ながら9日の阪神との二軍戦に登板。1イニングを投げ、被安打1、1奪三振、無失点に抑える好投を見せた。

 従兄に巨人の陽岱鋼選手がいることでドラフト時に話題を集めた張選手は、2016年の育成ドラフト1位でオリックスに入団すると、プロ1年目の昨季は59試合に出場して、66打数6安打、打率.091に終わり、2年目の今季もここまで7打数0安打だった。

 プロ入り後に、阪神・糸井嘉男外野手、ヤクルト・雄平外野手など、投手から野手に転向する選手はいるが、野手から投手にコンバートとなるケースは少ない。これまでに野手から投手にポジションを変更となった投手を調べてみると、元オリックスの嘉勢敏弘氏が当てはまる。

 嘉勢氏は1994年のドラフト1位でオリックスに入団し、プロ2年目の1996年に1軍デビュー。この年は5安打を放つ活躍を見せた。翌97年には外野手登録ながら、2試合に登板。98年と99年は投手としての登板がなく、99年には野手で80試合に出場し、6打点を挙げた。

 しかし、2000年に再び1軍のマウンドに上がると、プロ初勝利をマーク。この年は21試合に登板した。投手登録に変更した2001年は、リーグ最多の70登板。防御率3.21という成績を残した。02年も33試合に登板したが、03年以降は登板機会が減少し、04年を最後にユニホームを脱いだ。

“仰木マジック”で萩原氏、今村氏も投手転向

 同じくオリックスでプレーした萩原淳氏、今村文昭氏が野手から投手に転向。萩原氏は野手時代に1軍での出場は7試合だったが、投手転向後は02年から5年連続で30試合以上に登板。プロ通算270試合に登板し、13勝15敗15セーブ、防御率4.91という成績を残している。

 今村氏も投手転向1年目の01年に初勝利を挙げるなど、プロ通算3勝をマークした。ちなみに嘉勢氏、萩原氏、今村氏は、野茂英雄氏やイチロー選手を育てた“仰木マジック”でお馴染みの仰木彬氏が監督時代に、野手から投手に転向している。

 オリックスには過去に野手から投手に転向して成功した例がある。張選手は2軍で結果を残し、支配下選手契約を勝ち取れるか。そして来年以降は1軍のマウンドに立つことができるか、今後のアピールに注目していきたい。(「パ・リーグ インサイト」編集部)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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