小料理店「竹葉」を営むご主人と、その人生を陰で支えた奥さんのストーリー

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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】

きょうはお客さんが食べたいものを作ってくれる小料理店のご主人と、その板前人生を陰で支えた、年上の奥さんのグッとストーリーです。

JR松戸駅から歩いて数分、千葉県柏市にある小料理店、竹の葉と書いて「竹葉(ちくよう)」。お品書きに書いてあるのはその日の材料だけ。常連客のほとんどは「おまかせ」を頼みます。

カウンターの中で一人、お店を切り盛りしているのは 樋口洋造さん・71歳。和食の道に入って54年。「大将、今日はサッパリしたものが食べたいな」…そんな注文でも、常連さんの好みはすべて頭に入っているので、表情を見て、その人が望むメニューを作る洋造さん。

「今まで食べたことのない料理を、お客さんに食べてもらいたくてね……」

アットホームで居心地がいいと、半日近く長居するお客さんもいるほどです。半世紀以上になる洋造さんの板前人生を支えてくれたのは、おととし亡くなった13歳年上の妻・スミさんでした。

「女房はいつも私を見守ってくれて、苦しいときも黙って支えてくれました……」

洋造さんは4歳の時に母親を亡くし、「自分の食いぶちは自分で稼げ」という環境で育ちました。中学を卒業したあと、寿司職人になった2人の兄とは違う道を行こうと、日本橋の老舗料理店で修業。毎朝4時に厨房に立って昼の仕込みをしたあと、都電に乗って仕入れに行く親方の後を追って、自転車で築地市場へ。魚を乗せてお店に帰り、そのまま夜遅くまで働きました。

「朝ご飯は、食べる暇がなくて昼の2時。夕ご飯は夜10時に食べていました」という洋造さん。休みの日はまかないが出ず、お金もないためいつもお腹を空かせていましたが、そんなとき、お弁当を買ってきて「これ、食べなさい」と差し出してくれたのが、経理を担当していたスミさんでした。

ご主人と死別、女手ひとつで2人の娘さんを育てていたスミさん。洋造さんはその人柄に惹かれ、娘さんたちと仲良くなり、自然と交際が始まりました。厳しい修業に耐え抜いた洋造さんは、ある日、「もうお前に教えることはない。よそで勉強してこい」と言われ、親方の紹介で他の店へ。
ふぐ料理、天ぷら料理など、様々な店を渡り歩いた洋造さんは、和食ならどんな料理でも作れるようになっていきました。

板前として一本立ちした23歳のとき、洋造さんは職場が別になっても陰で支えてくれたスミさんと結婚。ゆくゆくは2人で店を持とうと共働きを続けましたが、45歳のある日、洋造さんは体にだるさを感じます。

病院へ行ったところ、診断は「C型肝炎」。治る確率は20%と言われましたが、洋造さんは保険の利かないインターフェロンを打ち、高熱をおして厨房に立ち続けました。
借金もかさみましたが、「足りない治療費を工面して、『きっと治るから』と励ましてくれたのは女房でした」

幸い、肝炎は完治。52歳のとき、勤めていたお店のご主人が居抜きで店舗を譲ってくれることになり、「竹葉」の店主になった洋造さん。ようやく夫婦の夢が叶いましたが、ちょうどその頃、娘さんから「お母さんの様子がおかしい」と聞かされます。

近所を徘徊するようになり、認知症の診断を受けたスミさん。だんだん症状は悪化し、「今度は、自分が女房を支える番だ」と決意した洋造さんは、お店の座敷を一つ潰してスミさんの介護をしながら、お店の厨房に立ち続けました。

スミさんが松戸市の特別老人ホームに入所してからも、毎日顔を見に通った洋造さん。
「だんだん私のことも分からなくなって、手を払いのけるようになってね…。でも足だけは丈夫だったから、ホームの周りを二人で散歩しましたよ」と言う洋造さん。会話はなくても、久々に訪れた夫婦水入らずのひとときが今も忘れられないそうです。

その後、スミさんは食道ガンが見つかり入院。治療の甲斐もむなしく、おととし亡くなりましたが、葬儀には洋造さんが面識のない人も含め街の人たちが100人以上も参列。スミさんがどれだけ地元の人に慕われていたかを、洋造さんはあらためて知りました。

「無口だった自分が、こうしてお客さんと話せるようになったのも、女房のお陰です……」

今日も厨房に立つ洋造さんの心の中には、いつも微笑みながら見守ってくれる、スミさんがいるのです。

八木亜希子 LOVE&MELODY
FM93AM1242ニッポン放送 土曜 8:00-10:50

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