「これが地獄」核兵器廃絶へ涙の訴え 横須賀の被爆者3人

 73年前、広島と長崎で被爆した女性3人が17日、本町コミュニティセンター(横須賀市本町)で講演した。「これが地獄なんだと思った」-。3人は幼少期の壮絶な体験を涙ながらに語り、異口同音に核兵器廃絶を訴えた。「これ以上、(原爆を)1発でも落としたら駄目。もし投下したら、地球は駄目になる」

 講演したのは、いずれも今は横須賀市内に住む後藤葉子さん(78)、村山恵子さん(79)、山口千代子さん(83)。

 「飛行機が飛んできて、ピカッと光って。その光が今でも脳裏にあります。その後、『ドーン』という地の底からはうような音がして、家の中を駆けずり回りました」

 こう振り返ったのは、5歳の時に広島で被爆した後藤さん。自身は山を二つ越えた自宅にいて難を逃れたが、両親が凄惨(せいさん)なまちの様子を話して聞かせた。後藤さんはその時の父親の様子を「『わしはこの世の地獄を見た。この世であれほどの地獄はない』と、おいおい泣きながら一晩中話してくれました」と回想。目に涙を浮かべ、訴えた。「核兵器は開発してほしくないし、これ以上増やしてほしくない。あの時の体験は二度と嫌。皆さんに味わってもらいたくない」

 村山さんは母と生まれたばかりの弟と3人、長崎市中心部から50キロ以上離れた親類宅に身を寄せていた。

 原爆投下から2日後。祖父母の安否を確認するため、母と共に爆心地近くの駅まで戻った。目の当たりにした光景について、村山さんは「『うー』といううめき声が聞こえた。何だろうと後ろを振り向いたら、目と鼻と口だけが出た、包帯でぐるぐる巻きの人間がいっぱい寝かされていました」と述懐した。

 放射能の影響かは分からないが、下痢が止まらず投薬治療を受けた。弟は15歳の時、原因不明の高熱で亡くなった。村山さんは「ここまで生きてこられたのは運が良かった。核廃絶は絶対に必要。戦争のない世の中にしたい」と言葉に力を込めた。

 広島で被爆した山口さんは、戦時中の食糧事情について「普通のお米の粒はないんです。大根を千切りにして、水をたくさん入れて。あと、サツマイモの茎の部分を食べて」「発育盛り。そんな食べ物を食べてたんじゃね…」などと神妙な面持ちで説明した。

 講演は、被爆者に代わって戦争体験を語り継ぐ活動を続ける横須賀の市民グループ「被爆体験を語り継ぐ会」が主催し、市民ら約25人が参加した。

被爆体験とともに、核兵器廃絶を訴えた(左から)後藤さん、村山さん、山口さん=横須賀市本町

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