認識票、73年ぶり故郷に 沖縄で戦死した松尾春雄さん(熊本市出身) 

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沖縄戦で戦死した松尾春雄さん沖縄県糸満市で見つかった松尾春雄さんの認識票
祖父春雄さんの遺影と発見された認識票を手に持つ松尾誠さん=熊本市中央区新屋敷

 今年1月に沖縄県糸満市米須にある旧日本軍の壕[ごう]跡で見つかった「松尾春雄」と記された元日本兵の「認識票」が、熊本市中央区新屋敷に住む孫の松尾誠さん(73)の手に戻った。沖縄戦で戦死した春雄さんの認識票が70年以上を経て、遺族の元に戻り、誠さんは「奇跡だ。全ての関係者に感謝しかない」と感激している。

 認識票は、戦死しても身元が分かるように氏名や所属部隊などが記してある。沖縄戦戦没者の遺骨収集に取り組む「沖縄蟻[あり]の会」代表の南埜[みなみの]安男さん(53)=那覇市=が発見。真ちゅう製で縦4・8センチ、横3・5センチ。氏名と「徳四三一〇」の文字が記されていた。

 南埜さんは同姓同名の熊本県出身の戦没者がいることを突き止め、情報提供を呼び掛け。2月1日付の熊日朝刊に掲載された「県出身戦没者の認識票か」(琉球新報提供)の記事を読んだ誠さんが「祖父のものかもしれない」と南埜さんに連絡した。

 誠さんは県と厚生労働省を通して、祖父春雄さんの軍歴を照会。遺留品受け取りの手続きを進め、5月末に認識票を受け取った。

 春雄さんは1886(明治19)年、熊本市生まれ。陸軍士官学校を卒業した職業軍人で、旧満州や中国・上海などで任務に就いた。1945(昭和20)年1月、58歳になっていたが、「国を守りたい」と志願して沖縄連隊区司令部に配属。同年6月20日、糸満市米須で戦死した。

 同年4月に生まれた誠さんは、春雄さんと会ったことはないが、強く印象に残ることがある。小学1年だった52年、「突撃を控えた春雄さんと話した」という元従軍記者の男性が実家を訪ねてきた。

 男性によると、春雄さんは「君のような若者が今後の日本を変えていかなければならない。無駄死にするな。突撃は自分のような年寄りでいい。沖縄を離れろ」と助言したという。誠さんは「祖父は職業軍人。日本の敗戦を見通していて、戦後日本の復興を若者に託したかったのだろう」と振り返る。

 認識票を発見した南埜さんは「遺品を遺族に返すことができて本当にうれしい。戦場ではなく、家族や仲間のいる場所で安らかに眠ってほしい」と喜ぶ。

 記憶にはない祖父の認識票を手に取りながら誠さんは「常に身に着けていた認識票からは、祖父の強い覚悟を感じる」と感慨深げ。認識票は靖国神社か、祖母や母が眠る松尾家の墓に納めたいと考えている。

 誠さんは戦争を知らない世代が増えたことに危機感を募らせる。「二度と戦争をしてはならない。若者には先の戦争に学び、平和の大切さをしっかりと考えてほしい」と力を込める。(九重陽平)

(2018年8月19日付 熊本日日新聞朝刊掲載)