僕がそこへ行く理由 第1回:1人の少女との出会い

MSF日本会長 加藤寛幸医師

MSF日本会長 加藤寛幸医師

困っている人を助ける——なかなかできないことかもしれません。「人道援助」という言葉になると、何か特別なことにも感じてしまうでしょう。15年にわたって援助活動に携わってきた国境なき医師団(MSF)日本会長の小児科医・加藤寛幸医師は、本当はもっとシンプルなこと、と語ります。加藤医師が援助の現場で得た、大切な出会いや経験を綴る全13回の連載です。

※2018年4~6月、静岡新聞「窓辺」に連載された記事を掲載しています。
 

「ハーハー」というあえぐような弱々しい呼吸の音、「ペタリ、ペタリ」というおぼつかない足音とともに診察室に入ってきた少女の姿はあまりに異様で、自分の目の前で起こっていることがすぐには理解できませんでした。

少女は顔から肩が真っ黒に焼けて腫れ上がり、立っているのがやっとという様子でした。少女の傍らで赤ちゃんを抱きかかえた母親から話を聞いて僕は一層混乱しました。7歳の少女は家で顔から肩、胸に大やけどを負いながら、炎天下を3日間、自分の足で歩いてここまでやって来たというのです。
 

南スーダン・アウェイルの病院で診察を待つ母子

南スーダン・アウェイルの病院で診察を待つ母子

世界で一番新しい国、そして世界で最も不安定な国、南スーダン北西部の町アウェイルの病院での出来事です。そこでは、薬を飲めば治るはずのマラリアで毎日のように子どもたちが死んでいました。新生児室でさえ床の上に敷いた毛布の上に多くの赤ちゃんが寝かされていました。 

アウェイル病院でマラリアの治療を受ける少年

アウェイル病院でマラリアの治療を受ける少年

久しぶりの活動で意気揚々と現地に乗り込んだはずが、荒廃しきったこの国の状況は深刻で、病院に着いた時点で既に手遅れとも思える子どもたちにも精一杯手を尽くしましたが、救えた子どもはほんのわずかです。任期を終え帰途に就く僕の心にあったのは、この国に打ちのめされたという敗北感と毎日のように子どもを看取らなくてすむという安堵感でした。そんな僕が帰国する話を聞いて一番泣いてくれたのがあの少女でした。

4年が経ちましたが、彼女との出会いが今も僕の背中を押しています。彼女のような思いをする子どもを1人でも減らしたくてこの活動を続けています。

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