難聴乗り越え夢は音楽療法士 信州総文祭・弁論4位 長崎日大高2年 山崎菜々海さん(16) つらかったから「今の幸せ実感」

 18日夕、長崎県諫早市中央体育館。長崎日大高吹奏楽部がマーチングの練習に汗を流している。約12キロのチューバを肩に演技、演奏をしているのは2年の山﨑菜々海さん(16)。難聴を抱えながら部活に励む一方、長野県で今月あった全国高校総合文化祭(信州総文祭)の弁論部門に出場、優秀賞(71人中4位)に輝いた。「たくさんつらいことがあったから、今の幸せを実感できる。次はマーチングで全国大会に出たい」と話す。
 幼いころは活発でバイオリン、ピアノ、バレエを習っていた。幼稚園の年長になると、高音域が聞こえていないことに母香代子さん(40)が気付いた。精密検査を受け、音を判別する内耳がよく機能していない「感音性難聴」と診断された。
 就学前に障害者手帳を取得。補聴器を付けても聞き取りにくく、聴力は少しずつ低下。小学校高学年のころ、友人が笑っていると「何て言ったの」と聞くことができないまま一緒に笑うふりをした。口数が減り、内向的になっていった。
 音楽が大好きだったことから、中学生になると吹奏楽部に入部。しかし練習中、先生の指示は聞こえず、自分が担当するホルンの微妙な音を聞き分けることもできない。「もっと聞こえるようになりたい。人工内耳手術を受けさせて」。自ら家族にお願いした。
 左耳を手術し成功。しかし人工内耳に慣れず、聴力改善には時間がかかった。右耳は補聴器。「耳が悪いのに音楽する資格なんてないのかも。だれも私のことは理解できないし味方もいない」。ふさぎ込んだ。
 「死にたい」。ツイッターにそんな投稿もした。友人から伝え聞いた香代子さんは、菜々海さんと向き合った。「死ぬときは一緒に死ぬからその時は教えて。でもね、人生は平等。これだけ苦しい思いをしたんだから、同じくらいの量の幸せがきっと訪れるから」。涙を流して思いを伝えた。
 親子で一日一日を乗り越え、マーチングの全国大会に2回出場という貴重な経験ができた。高校でも吹奏楽部へ。1年時、校内弁論大会に出たことが信州総文祭弁論部門出場につながった。長野県の会場で「難聴が教えてくれたこと」と題し発表。冒頭は、こんな言葉から始まる。「私は今、全日制の高校に通学しています。何一つ不自由なく、快適で楽しい学校生活を送らせていただいていることにとても感謝しています」
 今も遠くの声や音、また周囲に雑音があると聞き取りにくいが、夢は音楽療法士。難聴でもいろんな方法で音楽を楽しめることを証明し、同じように悩み苦しむ人の心を音楽の力で少しでも軽くしたい、そして難聴への理解を広げたいと願っている。だから弁論では、こう述べた。
 「私はちっともかわいそうではありません。少し不便なだけです。少しだけ力を貸してほしいのです」

難聴を抱えながらも長崎日大高吹奏楽部でマーチングの練習に励む山﨑菜々海さん=諫早市小船越町、市中央体育館

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