僕がそこへ行く理由 第4回:東京→シドニー→バンコク

2003年、初の赴任地となったスーダンにて

2003年、初の赴任地となったスーダンにて

医師の第一歩を踏み出した加藤青年が、空港で見た国境なき医師団(MSF)の映像。そこから、彼の人道援助の道が始まりました。15年にわたって援助活動に携わってきたMSF日本会長の小児科医・加藤寛幸医師が、援助の現場で得た、大切な出会いや経験を綴る全13回の連載です。

※2018年4~6月、静岡新聞「窓辺」に連載された記事を掲載しています。
 

2015年、アフガニスタンのホースト病院で現地スタッフと

2015年、アフガニスタンのホースト病院で現地スタッフと

 「ばか者!」

医師研修初日、教授に将来の夢を聞かれ、「国境なき医師団(MSF)に参加して子どもたちの命を救うことです」と答えて返って来たのがこの怒声でした。「そんなことは一人前になってから言え」と叱り飛ばされました。多くの同僚や先輩の反応も一様に冷ややかなものでしたが、あまり気になりませんでした。

研修は、MSFの活動に役立つと思われる分野の一般小児科、小児救急、新生児や麻酔、さらには成人救急に力を入れました。

4年の研修を終え、勇んでMSFの面接を受けましたが、私の英語は全く通用せず不合格。その足で大学に戻り、教授に直談判しました。「臨床留学させてください」。

「考えておく」とそっけない返事でしたが、一月も経たないうちにシドニーこども病院救急部の留学を紹介してくれました。「ばか者!」と言ったあの教授が僕の夢を後押ししてくれたのです。

シドニーでは通じない英語に悪戦苦闘する毎日でしたが、帰国前には救急部の責任者を任されるようになっていました。しかし帰国後の2度目の面接も不合格。それならばと、次はタイの熱帯医学校に留学しました。MSFの活動の大半を占める熱帯地域特有の病気を勉強するために。

人生の中で最も机に向かったタイ留学を終え、帰国して3回目の面接。ついに合格。MSFに参加すると決心してからおよそ10年の歳月が流れていました。多くの人たちに支えられ、僕はようやくスタートラインに立ったのです。

僕がそこへ行く理由 これまでの連載を読む

第1回:1人の少女との出会い
第2回:損をすると思う方を選びなさい
第3回:最も弱い人たちのために働く
第4回:東京→シドニー→バンコク

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