戦時の役割生々しく製造遺構を紹介 人吉海軍航空基地資料館

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人吉海軍航空基地資料館に展示された錦町の山中に墜落した零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の部品=錦町
魚雷組立工場だったとみられる地下トンネルを見学する来館者

 旧日本海軍は太平洋戦争中、錦町から相良村にかけて飛行場や大規模な地下施設を建設した。目的は当初、航空機の整備兵の養成だったが、やがて特攻訓練の場となり、米軍の九州上陸に備える基地としての性格を強めていった。これらの遺構群の一角に錦町が1日開設した「人吉海軍航空基地資料館」は、敗戦へ向かう中、施設が役割を変えていった歴史を生々しく伝える。

 開館から3週間で2621人が来館した。23日に訪れた錦町一武の笠智子さん(75)は「父は、私が生まれる3日前に召集され、戦地から帰って来なかった。資料館に来て、二度と戦争を起こしてはいけないという思いを強くした」と言った。

 平本真子副館長によると、施設は1943年11月に建設が始まり、44年2月に発足した人吉海軍航空隊の拠点となった。遺構群があるエリアは東西約4キロ、南北約3キロ。滑走路はコンクリートで舗装され、幅約50メートル、長さ約1500メートル。滑走路脇の誘導路は戦後、一直線に延びる道路になった。

 エリア内には数多くのトンネルが残り、近年の調査で海軍施設だったことが分かった。これまでに総延長3・9キロを確認。作戦室や通信室などに加え、魚雷組立工場や軍事物資を集積する倉庫などもあったとみられる。

 地上には、飛行場の存在を示す門柱が現存し、飛行機の格納庫の土台や、飛行機を隠す「掩体壕[えんたいごう]」跡、石油に代わる燃料として期待された松の根を加工する「松根油乾留工場」跡も残る。

 資料館は滑走路跡に建設。171平方メートルの館内に、地下施設の配置や役割を解説するパネルを展示。練習機のタイヤや、米軍機と交戦して町内に墜落した零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の部品も公開し、戦争体験者の証言映像を見ることもできる。大半は立ち入ることのできない地下施設の一部も見学できる。

 平本副館長は「修学旅行を誘致したり、独自の学習プログラムを作ったりして、平和教育に活用できる資料館にしていきたい」と話す。(鹿本成人)

<メモ> 人吉海軍航空基地資料館は午前10時~午後4時開館。火曜定休。入館料は高校生以上500円、小中学生300円。

(2018年8月24日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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