【特集】不登校だった高校生俳人が伝えたいメッセージとは

出版された「生きる」を手にする俳人の小林凜さん=7月21日、東京都千代田区

 壮絶ないじめから不登校を経験したが、句作と大好きな動物たちの存在に支えられてつらい日々を乗り越えた「高校生俳人」がいるのをご存じだろうか。大阪府岸和田市の小林凜さん(17)だ。夏休み明けの登校に悩む子どもたちに「行きたくなければ夏休みを延ばせばいい。逃げて、生き延び続ける。それが宿題」とのメッセージを送る小林さんに、その思いを語ってもらった。(聞き手は 共同通信=辻将邦)

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 僕は944グラムの超低出生体重児として生まれました。小学校入学後も体が小さく、いじめの標的に。学校に行くのは嫌でしたが、当時は学校に行かないというのは規則破りで、周囲から白い目で見られる行為だと思い込んでいました。

 そう思われたくなくて、無理して学校に通ったのを覚えています。1日の中にプログラムのように、機械的に組み込まれている感じでしょうか。なぜ学校に行かなくてはならないのか、本当に行かなければいけないのかといったことは全く考えてもみませんでした。

 暴言だけでなく、命に関わるような暴力も振るわれるようになりましたが、そのことを先生に訴えても相手にされなかった。絶望しましたが、小学5年のとき、家族からも「行かなくていい」と言われ、自宅学習を選びました。

 学校を休んでみると、これまではプログラムに支配されていただけだったと感じました。学校に行かないといけないという概念が崩れ、これで良かったんだと思えました。

 自宅が安心できる場所であったことも大きかったです。一緒に暮らす母や祖母は絶対的な理解者でした。周りの目を気にすることなく、飼っている生き物と遊んだり、世話をしたりして過ごしました。

 俳句は幼稚園の頃、NHKの教育番組で見たのがきっかけです。ほかの子どもがCMのリズムにはまるのと同じような感じで、五七五のリズムにはまりました。嫌なことがあっても、それを自分の好きな形に変えて、面白いものや良いもの、自分を傷つけない表現として出せるのが句作の魅力です。(嫌な感情を)封じていたらあふれてきてしんどくなるので、それを早く、オブラートにくるんで出してしまえば、(記憶が)過去に戻っても傷つくことがない。マイナスなものに線を1本足してプラスにする、それが句作です。

 俳句は僕の「つえ」です。どんなぼろぼろになってもそれがあれば、立っていられる。

 小6のときに学校に通うようになりましたが、中学でもいじめや教師の嫌がらせに遭い、再び不登校を選びました。

 自宅や身の回りの小さな動物にも支えられました。生き物は少し観察すれば、どこにでもいます。ダンゴムシにアリ、カメやコイ―。それらを見ると嫌なことを忘れられ、そのことだけを考えられる。例えば、浮いてる、何か食べてる、横取りした、こっち来た―。自分が目に映している生き物のことだけを考えると楽な気分になれます。

 生き物を見ているといろいろなことを学ぶことができるんです。カブトムシやハチみたいに吹っ飛ばしたり刺したりする虫もいれば、アリみたいに協力しあうものも、カメムシみたいに独特の武器を持つ虫もいる―。それで、みんな、一人でなんとか生きているというように。

昆虫や植物が好きで近所をよく散策するという俳人の小林凜さん。「俳句は私にとって生きる力、これからも自分の思いを発信してきたい」=7月21日、東京都千代田区

 いま大阪府内の高校に通っています。その高校のことは「ファンレター」で知りました。進路を考えていた中学3年の時、僕が出ていたテレビ番組を見ていた方が、僕に合いそうだということで、高校のパンフレットを茶封筒に入れて送ってくれました。それを見たり、学校見学に行ったりするうちに「もう一度学校を信じてもいいのではないか」という希望が芽生えてきました。

 高校に通うまでの僕にとって「学校」とは、先生が生徒を支配して、絶対的に言うことを聞かせる、服従させる場所でした。今の高校に通って初めて、学校は学び、成長するところだと分かりました。今は友達もでき、信頼できる先生もいて、学校生活は楽しいです。悩みといえば、数学の進度が速いくらい。

 いじめを克服した今、少し客観的に当時のことを振り返られるようになりました。

 被害に遭っていたときは、自分をいじめている本人やその仲間たちをすごく憎んでいました。でも今は、憎む視点が少し変化しています。本当に憎むべきは自分を殴ったり蹴ったりしてくる連中ではなく、それを許したり、助長している大人だと思うようになりました。止めるべき大人が止めなかったり、一緒になって笑ったりする。そんな大人の悪意が子どもたちのいじめを増長させていると思います。子どもの無邪気とも言える悪意が大人の悪意によってどんどん成長し、増殖していくのではないでしょうか。

 高校1年の時、国語の試験中に書いた「生きるとは」という詩があります。問題を全部解き終わった後、なぜか急にあふれてきて止まらず、答案用紙の裏に書きました。「生きるとはなにか/生きるとは『抗う』ことである」と始まるこの詩を今、僕と同じようにいじめに苦しみ、休み明けの登校に悩む子どもたちにぜひ読んでもらいたい。

 今は小中学校の時と全く違う環境にいます。それでも僕にとって「生きることは『抗う』こと」であり続けます。

 これまでは自分を守るために戦い、抗ってきました。でも、今こうして自分が嵐の中から抜けても、まだ苦しめられている人はいます。今度はそういう人たちのために抗いたいと思います。(談)

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 「生きるとは」

 生きるとはなにか

 生きるとは『抗(あらが)う』ことである

 必ず訪れる死に、

 理不尽な宿命に、

 抗うからこそ生きていける

 死を受け入れれば当然死ぬ

 社会に飲まれれば生ける骸となる

 宿命に負ければ望まぬ人生を送ることになる

 そうならぬよう

 抗い生きよ

 

 できるだけ

 腐った社会、壊せ

 そして作り変えろ

 万人が生きやすいよう 理不尽な宿命は利用しろ

 転落の危機をチャンスに変えろ

 

 抗うこととは

 思惑通りにならないことだ

 だから

 来るべき寿命が訪れるまで

 抗え、壊せ、利用しろ 生きるために 生き抜くために

   ×   ×

 小林凜さんが不登校について詠んだ代表句

 菜の花の黄色のきは希望のき

 冬茜生き方はみなあるがまま

 その下に仲間がいるよ春の空

 冬銀河希望すること忘れざる

 憂きことのあれば夏空仰ぎ見よ

 冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに

 踏み出せばまた新しき風薫る

 いろかたちみなそれぞれの落ち葉かな

 学校はあまたの選択肢の一つ(川柳)

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