僕がそこへ行く理由 第5回:違法な子どもたち

マイゴマ孤児院で赤ちゃんを診察する加藤医師

マイゴマ孤児院で赤ちゃんを診察する加藤医師

3度目の正直で国境なき医師団(MSF)に合格した加藤医師。いよいよ、初めての人道援助に参加し、スーダンへ向かいます。15年にわたって援助活動に携わってきたMSF日本会長の小児科医・加藤寛幸医師が、援助の現場で得た、大切な出会いや経験を綴る全13回の連載です。

※2018年4~6月、静岡新聞「窓辺」に連載された記事を掲載しています。
 

2003年、初の赴任地となったスーダンのマイゴマ孤児院

2003年、初の赴任地となったスーダンのマイゴマ孤児院

2003年、僕はついに国境なき医師団(MSF)への仲間入りを許されスーダンに向かいました。当時のスーダンは20世紀最大の人道危機と言われたダルフール紛争の真っただ中で、多くのMSFスタッフが現地入りしていました。しかし僕が送られたのはそのダルフールではなく、首都ハルツームにあるマイゴマという孤児院でした。

ハルツームでは、年間約1500人の赤ちゃんが捨てられ、そのうち生きて孤児院にたどり着けるのは3分の1ほどという状況で、さらに信じ難いことに、そのほとんどが入所後間もなく命を落としていました。

スーダンでは宗教的な理由から避妊や中絶は許されず、また婚姻関係にない男女間の性交渉は厳罰の対象です。仮にそれが男性に強制されたものだとしても、女性により重い罰が与えられてしまいます。望まずに妊娠した女性たちは、厳罰や家族への社会的制裁を恐れ、妊娠中は人目を避け、出産後すぐに赤ちゃんを捨てるしか選択肢が与えられていなかったのかもしれません。

マイゴマ孤児院で暮らす赤ちゃん

マイゴマ孤児院で暮らす赤ちゃん

僕にとってさらに追い討ちとなったのは、赤ちゃんの世話をする現地スタッフが赤ちゃんへの感情移入を避けていたことです。イスラム教徒のスタッフにとってマイゴマ孤児院に来る子どもたちは宗教的に違法な存在でしたし、長年赤ちゃんをみとり続けてきた中で身に付いた自分を守るための手段だったのかもしれません。

ようやく参加した活動で僕は、心を閉ざしたスタッフに囲まれ、毎日赤ちゃんをみとるという状況に追い込まれたのです。
 

僕がそこへ行く理由 これまでの連載を読む

第1回:1人の少女との出会い
第2回:損をすると思う方を選びなさい
第3回:最も弱い人たちのために働く
第4回:東京→シドニー→バンコク
第5回:違法な子どもたち

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