【現場を歩く】〈直徳、「板金ハサミ」製作で1世紀〉鍛冶職人が繰り出す匠の技 手造りで常に「本物」追求、息づく「感謝と研さん」の精神

 ハサミ・板金機械工具総合メーカーの直徳(本社・埼玉県鴻巣市、社長・岩上茂〈直右〉氏)は1917年(大正6年)の創業以来、素材加工から組立、仕上げまで「板金ハサミ」を一貫製作している。1世紀にわたって手造りにこだわる工場を訪れ、鍛冶職人が繰り出す匠の技に迫った。(中野 裕介) 

 直徳は埼玉県の東部、かつて中山道の宿場町として栄えた鴻巣市に本社を構え、軒を連ねて製造部門「岩上製作所」が立地する。1945年(昭20)に戦火の東京・池袋から移り住み、以来鴻巣で鋼に命を吹き込む。現在は至近の別棟とともに、20代から60代の20人余りが従事する。切れ目のない採用で人材を確保・育成し、幅広い世代で技術や技能を継承する。

 工場に入ると、間もなく加熱処理の炉が現れる。切断の多様化に準じて厳選した素材を組み合わせ、赤らめた地金に刃がねを打ち込む工程だ。焼き色を確かめながら、最適な状態にまで加熱。地金の伸びに逆らわず、丹念にハサミの形と厚さを整える。

 経験に裏打ちされた職人の勘を生かし、ハンマーで力強さのもとになる「コシ」を生み出す。人の手ならではの「コシ」が、職人の力をしっかりと板に伝え、精緻な仕上がりを実現する。「ハンドメイドの極意」が垣間見える。四季の気温や湿度にも細心の注意を払い、絶妙な作業環境でハサミの使い手に安心感と心地よさを届ける。

 火造りの加工を終えると研磨作業が控える。「鋼の力」に続き、ハサミの「切れ」を引きだす。グラインダーやベルトサンダー、羽布といった研磨を経て、焼入れと焼戻しを踏まえ最終的な仕上げの研磨に移る。このうち、刃の切れ味を左右する「裏すき研磨」では、研磨砥石と回転数、手角を微妙に合わせながら形を整えていく。まさに「熟練の技と研磨材の呼吸」(直徳)とでも形容できるだろう。ハサミの頭に当たる部分の成形では、炭炉などで加熱し、火加減や色合い、槌と金床といった細部にわたり、職人の腕が求められる。常に「本物」を追求し、技術と技能の進化を目指して研さんを重ねる。

 一連の工程を踏まえ、槌の絶妙な力加減でカシメ作業に入る。刃の反り合いを整え、刃切れを丹念に調質する。鍛冶職人たちは「自分たちが納得せずして、お客様にご満足は頂けない」との信念、熱意を貫き、技を磨き続ける。「徹底して誠心誠意お応えする思い」は世代を超えて共有し、1丁ずつ検査して市場に送り出す。

 長さや太さ、重量、形状…直徳は1丁から特注を受け付ける。1丁ごとに基本情報をシリアル番号で管理。「お客様がお困りなら」とハサミの自他は問わず、再生にも対応する。先代から譲り受けたり、長年愛着をもって携行したりするハサミを可能な範囲で最大限の修理を施し、所有者のもとで新たな活躍の場を得ていく。

「直徳ブランド」の歩み/販売部門持つメーカーに脱皮/新たな商流開拓へ挑戦/製品の「信頼性」架け橋に

 直徳が取り扱う「板金ハサミ」を語る上で、本社と同じ敷地で操業する「岩上製作所」の存在は欠かせない。二人三脚で歩んできた両社の足跡を振り返る。(以下、敬称略)

 岩上製作所は、茂の祖父、濱吉が東京・池袋ではさみの製造工場を興した1917年(大17)にさかのぼる。鋼に向き合い、製造の礎を作り上げた発祥の地に位置づけられる。その後、戦火から逃れるために45年(昭20)に一家が疎開した先が、現在本社を構える埼玉県鴻巣市。以来、70年余りにわたって全国に板金ハサミを送り出してきた。

 54年(昭29)には「有限会社岩上製作所」を設立。茂の父、重三郎が社長に就任した。 

 もっとも当時は板金工場の下請けとしてハサミづくりに徹していた。目が利く鍛冶職人が集う岩上製作所のハサミは市場から一級の評価を得て、問屋からの受注は右肩上がり。繁忙感が増す現場で、大学生の茂はアルバイトとして汗を流した。

 転機は茂が大学の卒業を間近に控えたある日。重三郎は茂に商業登記簿を見せた。記載してあった社名は「直徳」。製造は父、営業は息子に。独立の販売部門をもつ総合工具メーカーを目指し、重三郎は茂に商流の開拓を託した。

 工具1丁、ハサミ1丁からの挑戦―。茂は向こう3年、営業回りに専念する覚悟を決めた。岩上製作所の製品を取り扱う販売店などの顧客情報を頼りに始動。ハサミをはじめ工具を満載した車で県内の板金業者にくまなく足を運び、さらに5年かけて弟の濱好と全国を駆け回った。

 「直徳」ブランドの浸透は、順風満帆には程遠かった。既存の商流から吹き付ける逆風は相当なもの。いずれの直徳製品も、行く先々でこれまで取引していた問屋が立ちはだかった。

 だが日々手にする道具の「良し悪し」は、誰よりも職人が覚えている。確かで「抜群の使い勝手」は裏切らなかった。本物にこだわり、良品づくりに専念した先代たちが築き上げた製品がもつ「信頼」が、顧客との新たな架橋となった。今日にかけて揺らぐことなく自社工場で「手造り」する所以だ。

 今では年間60を超える展示会に参画し、多くのユーザーと対話を重ねる。きちんと物事に向き合うその姿勢は広く市場に伝播し、最近では建築板金以外の需要家からの依頼も少なくない。「お客様が必要とし、喜んで頂けなら」。3代にわたって流れる「感謝と研さん」の精神が、ものづくりに対する姿勢を支えている。

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