僕がそこへ行く理由 第7回:初日からストライキ

インドネシア・アロル島にて

インドネシア・アロル島にて

国境なき医師団(MSF)で2度目となる派遣先は、インドネシアの小さな島でした。到着早々、思わぬ状況に直面した加藤医師は…。15年にわたって援助活動に携わってきたMSF日本会長の小児科医・加藤寛幸医師が、援助の現場で得た、大切な出会いや経験を綴る全13回の連載です。

※2018年4~6月、静岡新聞「窓辺」に連載された記事を掲載しています。
 

アロル島の子どもたちと

アロル島の子どもたちと

 2回目の派遣先はインドネシア東端の小さな島、アロル島でした。

はしかで多くの子どもたちが亡くなっていたため、国境なき医師団が島中の子どもたちに予防接種を行なっていました。

2回目の派遣でチームリーダーになることは異例でしたが、スーダンでの反省を生かせるならと考え、引き受けることにしました。首都ジャカルタから飛行機と船を乗り継いで約24時間、ようやく現地入りして最初に聞かされたのは、現地スタッフがストライキに入ったということでした。

活動はすでに予定から1ヵ月の遅れが出ており、遅れを取り戻すよう厳しく言われていました。地球の果てのような小さな島でストライキという歓迎を受けたことには面食らったものの、幸いスーダンで得た教訓が生きていました。それは、スタッフと話すこと、理解し合うことは活動を成功に導く上で最も重要な要素であるということです。

僕は翌日からスタッフの家を一軒一軒歩いて回り、直接話を聞きました。アロル島は小さな島でしたが、島内の道路状況はひどいもので、車で行ける範囲はわずか。20人のスタッフの家を回るのに1週間を要しました。それでも一人一人と話をしたことで、彼らがストライキをしている理由を理解し、可能な対応策を示すことができました。20人のうち15人は仕事の再開を約束してくれました。

人数は減りましたが、仲間への敬意をより重んじるチームになっていました。南海の島での大冒険はチームづくりから始まりました。

僕がそこへ行く理由 これまでの連載を読む

第1回:1人の少女との出会い
第2回:損をすると思う方を選びなさい
第3回:最も弱い人たちのために働く
第4回:東京→シドニー→バンコク
第5回:違法な子どもたち
第6回:マイゴマの笑顔
第7回:初日からストライキ

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