平成3(1991)年の主な出来事

 1991年春先、長崎地裁と長崎新聞社に銃弾が撃ち込まれ、県民は司法と言論の自由への挑戦に怒った。
 自然の脅威を思い知らされた。1990年、200年ぶりに噴火した雲仙・普賢岳は恵みの山から脅威の山へと変貌し、多くの人命と生活の糧を奪った。台風も大きなつめ跡を残した。
 国際的な話題も多かった。統一地方選の最中、ゴルバチョフ・ソ連大統領が長崎を訪問。ペルシャ湾への掃海艇派遣は基地の街・佐世保を揺さぶり、タイマイの禁輸問題はべっ甲業界に衝撃を与えた。
 離島では相次いで架橋が実現、街活性化への期待がかかる。
 スポーツ界は明るいニュースが続いた。国見高サッカー部、鳴滝高バスケ部が全国制覇。都市対抗野球で準優勝した三菱重工長崎も県内を沸かせた。

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