僕がそこへ行く理由 第9回:人道援助 大サーカス

パキスタン地震の緊急援助にて

パキスタン地震の緊急援助にて

加藤医師の国境なき医師団(MSF)で3度目の活動地は、大きな地震に見舞われたパキスタンでの緊急援助活動。そこには多くの援助団体が入っていましたが…。15年にわたって援助活動に携わってきたMSF日本会長の小児科医・加藤寛幸医師が、援助の現場で得た、大切な出会いや経験を綴る全13回の連載です。

※2018年4~6月、静岡新聞「窓辺」に連載された記事を掲載しています。
 

地震で破壊されたバグの町

地震で破壊されたバグの町

2005年10月に起きたパキスタン地震は、8万人以上の命と、400万人の住まいを奪いました。僕は地震発生3日後に首都イスラマバードに入り、多国籍チームの一員として、幹線道路から離れた地域の被災状況を調査しながら被害が大きいとされる地域を目指しました。被災地はパキスタンとインドの係争地で、現地の役人が同行する調査は時間を要しましたが、首都をたって3日目には被害の大きかったバグに入りました。 

被災した男の子を診療する加藤医師

被災した男の子を診療する加藤医師

山あいの小さな町、バグには多くの援助団体が入り、倒壊しかけた町の病院の脇でそれぞれが思い思いにテントを張っていました。その光景はまるでサーカスのようで、縄張り争いや患者の取り合いさえも行われていました。

世界中から集まったメディアからよく見える場所で活動し、存在をアピールしたいと考えることは理解できなくはありませんが、何のための援助なのかと考えさせられる光景でした。

MSFはテント病院で人びとの治療をした

MSFはテント病院で人びとの治療をした

国境なき医師団(MSF)は、町の中心部でひっそりとテント式の手術室や分娩室を運営し、他の援助団体もメディアもいない山間部に診療所を設置しました。僕は移動診療チームに加わり、さらに山深い地域をテントを担いで回り、自力で病院に来ることができない人たちの診療を行いました。加えて、MSFは家を失った人たちが厳しい冬を越せるよう、世帯ごとに500kgの建築資材を配給しました。

ニーズだけに真剣に向き合うMSFのメンバーの姿を見て、その一員であることを誇らしく感じた出来事です。

僕がそこへ行く理由 これまでの連載を読む

第1回:1人の少女との出会い
第2回:損をすると思う方を選びなさい
第3回:最も弱い人たちのために働く
第4回:東京→シドニー→バンコク
第5回:違法な子どもたち
第6回:マイゴマの笑顔
第7回:初日からストライキ
第8回:嵐の船上で
第9回:人道援助 大サーカス

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