【高校野球】今夏、大阪桐蔭が最も苦しんだ一戦 履正社の先発右腕が明かす逆転劇の真相

履正社・濱内太陽が今夏の大阪桐蔭戦を振り返る【写真:沢井史】

北大阪大会準決勝が公式戦初登板だった濱内太陽

 グラウンドに来るのは、夏の北大阪大会で大阪桐蔭に敗れて以来、約1か月ぶりだという。夏休みは大学受験の準備でパソコンに向かう日が多く、練習からはしばらく離れていたが、提出書類作成も終わりに近づいた。「やっぱりグラウンドにいる方がいいですね」と練習着姿で見せた柔らかな表情は、あの時マウンドで見せた表情とさほど変わらなかった。

 今夏、甲子園で2度目の春夏連覇を果たした大阪桐蔭。ライバルとして常に渡り歩いてきたのが、履正社である。濱内太陽が試合に出るようになってからでも、実に5度、この2校は対戦している。

 北大阪大会。履正社は準決勝で大阪桐蔭と対戦した。この試合、驚いたのは先発投手。エース右腕の位田(いんでん)僚介でも、2年生左腕の清水大成でもなく、公式戦初登板の濱内だったからだ。だが、その濱内の“快投”が、大阪桐蔭を今夏最も苦しめることになると、誰が想像しただろうか。

 濱内は中学時代(松原ボーイズ)はエースだった。打撃も良かったため、投げない試合は野手としてスタメンに名を連ねた。「ちょっと良く言いすぎかもしれませんが、今で言うと(大阪桐蔭の)根尾君みたいな感じで。バッティングも好きだったので内野手として試合に出ることも多かったです」。履正社にも投手として入学したが、1年夏に肩を故障。投手としてベンチ入りを断念せざるをえなくなったが、好きな打撃で何としても這い上がろうと思った。

 本職は三塁手だったが、当時は安田尚憲(現ロッテ)という不動のレギュラーがいたため、一塁手として出場機会をうかがった。秋の近畿大会や明治神宮大会で頭角を現すと、準優勝したセンバツでは全5試合にスタメン出場。18打数9安打の打率5割という驚異の打率を残した。決勝の大阪桐蔭戦では8回に同点タイムリーを放つなど勝負強さも見せつけた。

 センバツ後は右翼手としてもスタメン出場するようになったが、実は外野手をするのはこれが初めて。「他に一塁を守る選手がいたりとチーム事情もあったので。難しい打球が飛んでくることが少なかったので何とかこなせました」と本人は言うが、何でもこなせるユーティリティープレーヤーぶりは、チームに欠かせない存在となった。

 野手としてのポテンシャルを大いに発揮するようになったため、肩の状態が戻っても投手の練習をすることはなかった。だが、新チーム結成以降、「柱になる投手がなかなか出てこない」と岡田龍生監督が嘆いていたように、チームは投手のやりくりに苦労していた。決戦に向けて多くの投手を選択肢に入れる中、指揮官の“大博打”で濱内に白羽の矢が立ったのだ。

準決勝の先発は濱内本人も正面から言い渡されたわけではなかった

 準決勝の大阪桐蔭戦。濱内の先発は誰も予想していなかった。実は本人も、先発を正面から言い渡された訳ではなかったという。「球場に着いてから先発ということがはっきり分かったんですけれど、はっきり言われた訳ではなくて、前日の練習から何となくそんな雰囲気だったんです。当日に松平先生(部長)から“リラックスしていけよ”と言われて初めて、自分だということが分かって……」。

 履正社は一昨年は寺島成輝(現東京ヤクルト)、昨年は竹田祐(現明大)と大黒柱が中心だったが、今年は小刻みな継投で勝ち上がっていた。起用する投手が多い分、各投手には負担はかかる。そのため、投手経験がある者はブルペンに入る機会が増えていき、濱内もブルペンに入るようになった。そのうち、ストレートのキレが段々と良くなっていくのが分かった。

「調子は良かったので準備はしていました。でも、(先発と言われて)驚きはしなかったです。ああ自分なんだと。ただ、投げる覚悟はあったけれど、まさか先発かって。それは思いました」。当初は継投の予定だった。「3回持てばいいと。その後は(2年生左腕の)清水、位田(いんでん)に継投していけばと思っていました」。だが、これが意外な展開に繋がっていく。

 公式戦初登板が大一番のマウンド。緊張しないはずはないが、緊張以上に配球のことで頭がいっぱいだった。バッテリーを組む野口海音(2年)は中学時代のチームメイトで、何かあればすぐに意見を交換し合える仲。「自分が数日前からシート打撃で投げていたので、その度にこの球は使えるとかこの球はこうすれば抑える武器になるとか、色んな話をしていたんです。だから、野口もこういうバッターはこのパターンで抑えられる、としっかり理解してリードしてくれました」。ストレート、チェンジアップをコースにうまく散らして凡打を打たせた。5回までに許したヒットはわずか2本。四球で走者を出しても、4併殺打でピンチを脱するなど、大阪桐蔭の各打者に自分の打撃をさせなかった。

「大阪桐蔭の各打者は芯に当てるのがうまい。少々アウトコースに投げてもうまく運ばれるし、低めにも強いです。でも高めの球をかぶせて打ってくるイメージがなかったので、高さを使おうと。右打者にはスライダーとストレート、左打者にはスライダー、チェンジアップ、ストレートを、高さを使いながら投げました」。中川、山田の併殺打はいずれも高めのストレートを打たせたもの。高めのストレートは、どうしても目線が上がってバッティングが崩れやすい。「自分の高めのストレートは手元で伸びているって野口が言ってくれたんです。自分にはそれほど緻密なコントロールはないので、そこからさらに勢いで押すぐらいで投げました」。

 だが、快投を重ねていく中、体が徐々に悲鳴をあげ始める。これまで投手としての練習をほとんどしていなかったため“投げ抜く体力”は乏しく、疲労はピークに達した。しかも、この酷暑である。「6回くらいから、だんだん握力が落ちてきて……。グラウンド整備の直後、気持ちを入れ替えて投げるつもりが徐々に捉えられだして、7回は先頭打者の藤原に甘く入ったチェンジアップを三塁打にされて。そのあたりから指に力が入らなくなっていました」。

 2点を先取されたところで一旦マウンドを清水に譲り、ライトへ。その後継投した位田に代打が送られたため、8回に再びマウンドに立つことになった。だが、序盤のような力の込もったストレートはもう投げられなかった。「相手の打ち損じを期待するしかないほど、もう疲労がピークでした」。そんな中、8回裏に味方打線が奮起し逆転した。

 1点リードで迎えた9回の守備。先頭の代打・俵藤夏冴(3年)の当たりが中前に抜け、出塁を許した。だが、バントを試みた1番・石川瑞貴(3年)のフライを三塁の三木彰智(3年)がキャッチし、一塁へ送球。この日5個目となる併殺を完成させ、大阪桐蔭を窮地に追い込んだ。

9回2死走者なしから逆転負け「大阪桐蔭打線はさすがとしか」

 1点リードで9回2死走者なし。勝利まで、あとアウト1つ。その状況下でも、実のところ濱内は冷静だった。「あと1アウトと思ったら、絶対にやられると思いました。見ている方からすれば“これで決まった”と思ったかもしれませんが、自分は油断はダメだと。大阪桐蔭の打者は選球眼がいい。1人出たら分からないとも思っていましたし、打者に集中しました」。

 この分析は、不運にも当たってしまう。2番の宮崎仁斗(3年)は冷静に四球を選んだ。続く打者は3番の中川卓也(3年)。だが、その時ひとつだけ後悔したことがある。

「何球目かに中川君が三塁方向にファウルフライを上げたんです。その時に『捕れる!』って思ってしまって。心の中にスキができたというか、少し油断してしまって。(結果は捕球ならずファウルに)。そこでもう一度気持ちを入れ直そうとしたのですが、一度でも油断をすると気持ちを整えるのは難しいんです。そこから集中力が切れてしまって。あの場面が全てでした」

 中川、そして4番の藤原恭大(3年)にも四球を与えた。「もう、この回はほとんどストレートしか投げていなかったですね。指先の感覚がどうだったか、ほとんど記憶がないんです」。体に力が入らず、下半身の踏ん張りもきかない。どの球も抜け球になり、ストライクが取れなかった。「最後は相手の打ち損じで何とか抑えるしかなかったです。気持ちも体力も、あの時の自分では抑えられませんでした。それでも最後までボール球をぶんぶん振らずにしっかり見てきた大阪桐蔭打線はさすがとしか言いようがないですね」。根尾に押し出し四球を与えて同点とされると、山田に勝ち越しの2点適時打を浴び、4-6で敗れた。

 この夏は受験準備が忙しかったため、甲子園の試合はほとんど見ることはなかった。ただ、ライバルの春夏連覇達成を知った時は「素直に心の底から“おめでとう”って思いました」という。ずっと倒そうと思ってきたライバル。昨春のセンバツ決勝、昨夏の大阪大会準決勝、そして今夏の北大阪大会準決勝。何度も熱戦を繰り広げたが、勝てなかった。それでもくすぶるような感情はまったくない。

 濱内にとって大阪桐蔭とはどんなチームだったのか。「今まで、大阪桐蔭って中田さん(=翔・現日本ハム)や浅村さん(栄斗=現西武)、藤浪さん(=晋太郎・現阪神)がいた時は、絶対的な柱がいて、打線にかなり破壊力があると感じていました。今年も根尾(=昂)や藤原ら凄い打者はいましたが、過去と比べると相手をねじ伏せるような圧倒的な力は感じなかったんです。でも、今年の大阪桐蔭は“負けないチーム”でした。追いつめられても、下を向かない。厳しい場面になるほど気持ちでぶつかってくる。“凄い”ではなく“上手い”選手が1番から9番まで続いている。“圧倒的”ではなく“最終的”に勝っているチームでした」。

 野球ではしのぎを削ったライバルでも、大阪桐蔭の主将・中川とは開会式や抽選会、あらゆるところで顔を合わせては互いの近況や調子を報告しあったりする仲だった。大阪桐蔭の控え左腕の横川凱投手とは開会式で待機している時など雑談などもしながら話し込むほど親しくなった。そんな“球友”の偉業達成は喜びでもあり、自身の発奮材料にもなる。そんな好敵手たちと戦ったこの激戦を通して濱内が感じたものは、とてつもなく大きかった。

「この試合後、投手として自信がついた……とか色々言われましたけれど、それはないです。むしろ、野球の難しさを感じました。今までなら9回2死で走者なしだと、1点のリードでも完全に勝ちだと思いましたが、それは思わなくなりました。1アウトを取る難しさ、大変さ。これから野球を続けていくうえで、そのあたりを大事にしていきたいと思います」

 大学では、チームから要望があれば投手をやってみようと思っている。「自分からやるかは分かりませんが、両方準備はしていきます。これからは、どんなかたちでも出来るだけ長くレベルの高いところでプレーしていきたいですね」。甲子園にはたどり着かなかったが、濱内にとって高校最後の夏は、“野球人”として備えるべきものをまた教えられた貴重な瞬間となった。(沢井史 / Fumi Sawai)

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