僕がそこへ行く理由 第10回:田老町のインディ・ジョーンズ

MSF日本会長、加藤寛幸医師

MSF日本会長、加藤寛幸医師

2011年に発生した、東日本大震災。国境なき医師団(MSF)スタッフとして4回目の活動は、遠い海の向こうではなく、日本でした。15年にわたって援助活動に携わってきたMSF日本会長の小児科医・加藤寛幸医師が、援助の現場で得た、大切な出会いや経験を綴る全13回の連載です。

※2018年4~6月、静岡新聞「窓辺」に連載された記事を掲載しています。
 

東北の被災地を回るMSFの調査チーム

東北の被災地を回るMSFの調査チーム

東日本大震災直後の援助活動に参加した僕の任務は、岩手県沿岸を回り、ニーズが大きく医療が届いていない地域で活動を立ち上げることでした。余震が続く中、避難所の隅に寝泊まりしながら、陸前高田市から田老町まで、役場や避難所を一つずつ回りましたが、既に多くの地域に援助団体が入り、診療を求められる機会は多くはありませんでした。
 

南三陸で避難所の被災者を診察する加藤医師

南三陸で避難所の被災者を診察する加藤医師

調査4日目、田老町の仮設診療所を訪ねると医師は往診に出ていました。看護師の応対から僕たちが歓迎されていないと感じましたが帰りを待つことに。程なくして現れたのは、眉間にしわを寄せ、無精ひげにカウボーイハット、長い革のコートを着た、まるで映画『インディ・ジョーンズ』のような男でした。

彼の第一声は「被災した全世帯に血圧計を準備できるか」でした。あっけにとられた僕たちは気を取り直し、ここを訪れた理由や可能な支援について丁寧に説明しました。すると険しかった彼の表情は徐々に和らいでいったのです。

それまでこの地を訪れた援助団体が、避難所の診療方針を非難したり、支援の申し出を突然取り下げたりしたため、彼も僕たちを警戒していたのです。大学を卒業後、地域医療を志し、田老町の診療所をたった1人で守ってきたこの男は、住民のために必死に戦っていたのです。

田老町での活動を決めるのに多くの時間は必要ありませんでした。彼のような人たちとの出会いが国境なき医師団に参加する最大のご褒美なのだと思います。
 

僕がそこへ行く理由 これまでの連載を読む

第1回:1人の少女との出会い
第2回:損をすると思う方を選びなさい
第3回:最も弱い人たちのために働く
第4回:東京→シドニー→バンコク
第5回:違法な子どもたち
第6回:マイゴマの笑顔
第7回:初日からストライキ
第8回:嵐の船上で
第9回:人道援助 大サーカス
第10回:田老町のインディ・ジョーンズ

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