「夏の終わりが寂しい」のは日本人だけ!?日本独特の感性とは

日に日に涼しくなり、過ごしやすくなっていくにつれて、何故だか寂しさを感じる夏の終わり。毎年夏はやってくるのに、この行き場のない気持ちはなんだろう…そんな人も多いのでは?夏の終わりを寂しく感じる理由と、日本人がもつその感性について探ってみました。

四季の移り変わり

四季の移り変わりがある日本では、自然を題材にした和歌を詠む文化があるように、古来より季節の瞬間を切り取ることを楽しんできました。季語を1つ入れなくてはいけないというルールがそれを物語っています。

終わりゆくもの=美しい

季語の中でも歌人たちがこぞって和歌の題材として選んだのが「桜」。春になると多くの日本人が桜を楽しむ花見に出かけますが、見頃を迎えて2-3日も経てばすぐに散ってしまう花である桜を愛でるのは、その刹那的な美しさ、儚さに心惹かれるからではないでしょうか。

兼好法師が、徒然草の中で

世はさだめなきこそ、いみじけれ

と詠んだように、全てのものは永遠に続かず、消えてなくなってしまうという感覚は日本人が強く持っている感覚です。

草花の最盛期が過ぎ、日が次第に短くなり、夏という季節が終わってゆくのを悲しくも美しく感じるのは、日本古来からの日本的感性のひとつなのです。

宗教的な後ろ盾がない

文化人類学者・船曳建夫氏によると、このような感覚が醸成されたひとつの理由として、宗教が大きく影響しているといいます。海外では主流の宗教である、キリスト教やイスラム教は、絶対的な神が存在します。一方で多くの日本人は、特定の宗教の信仰がないので、絶対や不変を保証する後ろ盾がありません。

クリスチャンやムスリムにとっては、そもそも“消滅”という概念がありません。何かが消えてなくなっていく、そう思っているのは日本人だけで、世界の多くの人は思っていないんですよ。(『GINZA』2018年8月号より)

キリスト教やイスラム教の信者たちは、神を信じ、その教えを守ることで天国での永遠の命を約束されるので「終わり」がない。逆に多くの日本人は、常に何かの「終わり」を意識して生きているのです。自分の身に起こる出来事や、目にする景色、そして自分という存在はいつか消えてゆく。そんな感覚が寂しさの根源となっているのかもしれません。

夏休みが終わる喪失感

加えて、子どもの頃の夏休みが終わる感覚が、夏が終わる寂しさを感じる理由のひとつとも想像できます。旅行に出かけたり、故郷へ帰って親戚を含め家族との時間を過ごしたりと、楽しいイベントが多いのが夏。そんな夏という季節を特別に感じるからこそ、それが終わってしまう寂しさを覚えるのは必然的ともいえるでしょう。

終わっていくという感覚と、切なくも美しいと感じる心。日本人の豊かな感性は、和歌、文学、音楽、絵画と多くの芸術において表現され、共感や感動を呼び、共有されていきます。「夏の終わり」から呼び起こされる寂しさは、自分が日本人であることの証明ともいえるのかもしれません。

【参考文献】

ドナルド・キーン『果てしなく美しい日本』講談社

船曳建夫『「日本人論」再考』NHK出版

『GINZA』2018年8月号 マガジンハウス

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