僕がそこへ行く理由 第11回:なぜ日本でなくアフリカへ?

MSF日本会長、加藤寛幸医師

MSF日本会長、加藤寛幸医師

東日本大震災で、初めて日本国内で医療援助活動をした加藤医師。なぜ行くのか、なぜ援助するのか、その答えを、この時改めて再認識しました。15年にわたって援助活動に携わってきたMSF日本会長の小児科医・加藤寛幸医師が、援助の現場で得た、大切な出会いや経験を綴る全13回の連載です。

※2018年4~6月、静岡新聞「窓辺」に連載された記事を掲載しています。
 

2016年、熊本地震の緊急対応で現場に向かう加藤医師

2016年、熊本地震の緊急対応で現場に向かう加藤医師

「日本でも医師不足で困っている人がいるのに、なぜアフリカに行くの」と聞かれ、国境なき医師団(MSF)の活動を始めた頃の僕は明確な答えを持ち合わせていませんでした。日本の場合は医師偏在で、アフリカは絶対的な医師不足だとしても、どちらも患者さんにとっては深刻な問題であることに変わりはありませんから。

そんな僕のモヤモヤを解消してくれたのが、東日本大震災の活動でした。地震発生時、僕は当時勤めていた静岡県立こども病院から当直明けで自宅に戻り、シャワーを浴び終えたところでした。テレビ画面に映し出される信じられない光景を見て、すぐに現地に向かう準備をしました。
 

東日本大震災の緊急援助活動には、多くの日本人スタッフが参加した

東日本大震災の緊急援助活動には、多くの日本人スタッフが参加した

翌朝東京の事務局に入ると、そこには活動参加を希望する多くのスタッフが詰め掛けていました。移動手段や薬剤の確保に時間を要し、派遣が思うように進まない中で僕が感じていたのは、「この日のために今までMSFの活動に関わってきたのかもしれない」「今こそ、日本人として日本の人たちのために何かしたい」ということでした。待機中のスタッフ皆が同じ思いを口にしていました。

僕たちMSFのスタッフは、外国が好きで外国に行くのではなく、命の危機にひんした人たちが待っているからそこに向かうのです。
 

医療援助物資を運び入れるMSFスタッフ

医療援助物資を運び入れるMSFスタッフ

空路で山形空港へ、そこで車に支援物資を積み込み被災地に入りました。避難所で肩を寄せ合う人びと、自分も被災者でありながら、ましてや家族の安否さえ定かでないのに診療に当たる医療スタッフたちを前に、僕は命を懸けて活動に当たろうと決意していました。 

僕がそこへ行く理由 これまでの連載を読む

第1回:1人の少女との出会い
第2回:損をすると思う方を選びなさい
第3回:最も弱い人たちのために働く
第4回:東京→シドニー→バンコク
第5回:違法な子どもたち
第6回:マイゴマの笑顔
第7回:初日からストライキ
第8回:嵐の船上で
第9回:人道援助 大サーカス
第10回:田老町のインディ・ジョーンズ
第11回:なぜ日本でなくアフリカへ?
 

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