ゼロ戦とB29の搭乗員

ゼロ戦とB29の搭乗員

 太平洋戦争中に多良岳上空で交戦の末、墜落して犠牲となった旧日本軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)と米B29爆撃機の搭乗員の双方を悼む「戦後70年日米友好追悼式」が21日、諫早市小長井、高来両町にそれぞれ建立されている鎮魂碑、慰霊碑の前であった。

 市民有志でつくる日米友好追悼の会実行委員会の主催。実行委員長で医療法人理事の犬尾博治さん(81)=同市泉町=がまとめた資料などによると、中国を飛び立ったB29爆撃機61機は1944年11月21日、大村海軍工廠(こうしょう)を空襲。多良山麓上空で日本軍のゼロ戦など戦闘機67機と交戦になった。このとき、坂本幹彦中尉=当時(21)、佐賀県出身=のゼロ戦に体当たりを受けたとされるB29が小長井町沖の海に墜落、搭乗員の11人全員が死亡した。一方、坂本中尉のゼロ戦も飛散。翌年1月に高来町の山中で中尉の遺体が見つかった。

 戦後50年近くたった92年に犬尾さんらが高来町古場の山中に坂本少佐(死亡後2階級特進)の慰霊碑を建立。翌93年には小長井町の住民がB29墜落現場近くの海辺に鎮魂碑を建てた。

 追悼式は会場を移動し二つの碑の前であった。B29搭乗員の鎮魂碑前には約100人が参列。犬尾さんは「前途ある両国の若者が国や家族を思い、互いに顔を知らないまま戦い散っていった事実を後々に伝え、思いを新たにしたい」と式辞。海上自衛隊や米海軍関係者らが鎮魂碑にウイスキーを献酒。ほかの参列者も花を供え、犠牲者の冥福を祈った。

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