僕がそこへ行く理由 第12回:ハッピバースデーツーユー

アフガニスタンの病院で新生児を抱く加藤医師

アフガニスタンの病院で新生児を抱く加藤医師

 海外援助に行くスタッフにとって、支えとなるのは家族の存在です。加藤医師がそれを実感したのは、国境なき医師団(MSF)での初めての活動でした。15年にわたって援助活動に携わってきたMSF日本会長の小児科医・加藤寛幸医師が、援助の現場で得た、大切な出会いや経験を綴る全13回の連載です。

※2018年4~6月、静岡新聞「窓辺」に連載された記事を掲載しています。

初の赴任地、スーダンの孤児院にて

初の赴任地、スーダンの孤児院にて

 2003年、国境なき医師団(MSF)での初の活動に向かう僕は夢の実現に有頂天で、2歳の誕生日を控えた長男のことさえ後回しだったように思います。そして赴任1ヵ月で孤立した僕の元に、突然日本にいる妻から電話がかかって来ました。妻が「ちょっと待って、すぐ代わるから」と言ったもののなかなか出ないため、「忙しいから切るよ」と伝えたその時、電話の向こうから子どもの歌声が聞こえて来ました。

「ハッピバースデーツーユー、ハッピバースデーツーユー・・・」

その日が自分の誕生日だと知り、人目もはばからず泣きました。妻が「お父さんが出発してからずっと練習してきたんだよ」と。おしゃべりもまだろくに出来ない息子が僕のために歌ってくれたこと、根気強く教えた妻への感謝があふれました。あの歌がなかったらスーダンを逃げ出していたかもしれません。

2014年、エボラ出血熱に対応するためシエラレオネへ

2014年、エボラ出血熱に対応するためシエラレオネへ

2014年、エボラ出血熱の対応のためシエラレオネに出発する日。静岡駅のホームまで見送りに来た3人の子どもたちは僕が新幹線に乗り込んでもふざけ合っていました。事の重大さを理解できないのだなと感じていた時、出発のベルが鳴りました。すると笑顔だった小2の長女の表情が一変し必死に何かをこらえていました。そして、ドアが閉まった瞬間、せきを切ったように泣き出しました。2人の息子も泣き出しました。彼らは僕を気持ちよく送り出そうと必死に明るく振る舞っていたのです。

親が至らないと子どもたちは立派に育つようです。家族の支えなしには活動を続けてこられなかったと実感しています。
 

僕がそこへ行く理由 これまでの連載を読む

第1回:1人の少女との出会い
第2回:損をすると思う方を選びなさい
第3回:最も弱い人たちのために働く
第4回:東京→シドニー→バンコク
第5回:違法な子どもたち
第6回:マイゴマの笑顔
第7回:初日からストライキ
第8回:嵐の船上で
第9回:人道援助 大サーカス
第10回:田老町のインディ・ジョーンズ
第11回:なぜ日本でなくアフリカへ?
第12回:ハッピバースデーツーユー

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