“見えない被害”の表現に苦悩 カネミ油症伝える写真展

 カネミ油症事件などを伝える写真展「油症事件とPCB汚染を考える2018長崎展」が、長崎市の長崎ブリックホールで開催中。展示写真の大半は横浜市在住の写真家、河野裕昭さん(67)が主に1970年代に撮影したもの。3日、会場を訪れた河野さんは、痛ましい油症被害を振り返るとともに、本格救済が進んでいない現状を踏まえ「国民を救わないこの国は冷たい」などと思いを語った。
 北九州市の門司で育ち、高校3年時、油症の発生を新聞で知った。東京の大学に進学すると学生運動全盛で、社会問題を告発する活動も活発だった。水俣病問題に関わり、患者の撮影を開始。作家の石牟礼道子さんらとも交流した。
 やがて地元の北九州市に原因企業があるカネミ油症に目が向いた。同市などで撮影に入り、被害者が多い五島へ。奈留島で裁判の陳述書作りに仲間と協力したり、玉之浦で漁を手伝ったりしながら島民と生活を共にし、日常を撮りためた。
 油症が原因で妻が家を出ていった後の夫の沈んだ表情、子どもが油症で死亡した家族の姿-。吹き出物とその痕に覆われた女性の背中を見たときは、悲惨さに息をのんだ。女性は社会に訴えてほしかったのか肌を見せることを嫌がらなかった。「残酷な背中だった。自分がまだ若く無神経だったから撮影を頼めた。撮った責任はあると思っている」と河野さんは語る。
 「油症は皮膚症状」というイメージが広がっていたが、実は内臓や神経などのダメージがより深刻だった。働けなくなった一家の大黒柱、吹き出物がないのに亡くなっていく人々、結婚や就職がままならない若い被害者のもがきなど、目に見えない「被害」を写真でどう表現できるのかと苦悩。写真の限界も当時感じたという。
 油症発覚から今年で50年。河野さんは「解決の見通しも立っていない油症2世、3世らのことを考えると自分は何の役にも立たなかったという居心地の悪さ、やるせなさを感じる」と複雑な心情をのぞかせる。一方、「本格救済が実現していないのは国の責任。被害者はもっと怒っていい」とも語った。
 写真展は実行委主催、長崎新聞社など後援。15日まで。

「被害者は何が起きているのかを伝えたいから僕の前に立ってくれた」と撮影当時を振り返る河野さん=長崎市茂里町、長崎ブリックホール

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