【注目の地方企業#1前編】ハワイアンズを経営する常磐興産のあゆみ

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就職活動で避けて通れないのが企業研究。自分に合う会社なのか、情報を見比べて判断するのは予想以上に時間がかかるため、つい都市部や身近な企業ばかり調べてしまいがちになっていないでしょうか。

しかし、日本各地には地域密着で輝く優良企業は少なくありません。そんな見落としがちな地方企業を改めてフォーカス。今回は、福島県いわき市に本社を構える常磐興産株式会社をご紹介します。

現在のスパリゾートハワイアンズ

常磐興産は、大型レジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」を経営する会社。屋内プールと温泉を1年中楽しめる南国のような館内は、いつも大勢の来場者でにぎわっています。

2006年公開の映画『フラガール』は、地元の炭礦(たんこう)町を舞台に、スパリゾートハワイアンズの前身「常磐ハワイアンセンター」設立を支えた人々の物語です。この作品は、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞するなど全国的に大きな話題となり、ハワイアンズの知名度を大きく押し上げました。

観光客を地元に呼び込み、地域の人々を元気づけるスパリゾートハワイアンズは、今も近隣の学生の就職先として根強い人気を誇っています。福島を代表する企業として成長を続ける常磐興産は、いったいどんな会社なのでしょうか。同社の取締役執行役員であり、スパリゾートハワイアンズ総支配人の下山田敏博さんに伺いました。

スパリゾートハワイアンズ総支配人・下山田敏博さん

の会社が始めたエンターテインメント事業

常磐興産の設立は1944年。当時の主な事業は、石炭を掘り出す炭礦(たんこう)業でした。

炭礦事業を手掛けていた常磐興産

その後1950年代にエネルギー革命が起こり、燃料の需要は石炭から石油へ移行。同社の炭礦も時代の波に逆らえず、閉山に追い込まれてしまいます。そこで、社の存続と雇用を守るための新たな策として計画されたのが「福島県にハワイを作る」でした。

「当時の社長・中村豊は会社が傾きはじめた頃、なにか良いアイデアはないかと世界中を視察しに回りました。その時に、たまたま訪れたハワイの音楽と踊りに感銘を受けて、『これは日本人にも受け入れられる』と確信したそうです。そして帰国後すぐに『常磐ハワイアンセンター』の建設に向けて動き出しました」(下山田さん)

しかし、ハワイの音楽とフラダンスをそのまま日本に持ってくるだけでは意味がありません。日本人が足を運びたくなる仕組みが必要だと考えた中村元社長は、あることをひらめきます。それは、温泉の活用でした。

「いわき市の地層は、石炭層と温泉層が混在しています。石炭を1トン採取するたびに、40トンもの温泉が湧き出し、お湯の処理に多額の費用がかかっていました。ならば、そのお湯を使って、温泉に浸かりながら楽しめるエンターテインメント施設を作ればいいじゃないか、と考えたのです」

ゆったりと時間が流れるハワイの雰囲気と、古くから日本のリラクゼーションとして親しまれる温泉。2つは意外にも相性が良く、見事に調和する空間案が打ち出されました。

開業当初の常磐ハワイアンセンター

しかし、社員からは建設に反対する声も。当時、目玉であるフラダンスの衣装は露出が多く下品だと思う風潮があったからです。それでも、ここで立ち止まっては会社の未来はないという中村元社長の強い信念によって、「常磐ハワイアンセンター」が誕生しました。その団結の裏にあったのは、炭礦時代に養った「一山一家(いちざんいっか)」の精神です。

「一山一家とは、その山で働く人はみんな家族という考え方です。そこには、炭礦で働く父親とその子どもや妻も含まれます。みんなで助け合って生活することが体に染み付いていたので、反対の声があっても最終的には一致団結して取り組むことができました」

反対を乗り越えて実現したフラダンスのステージ

その後、炭礦時代に養われた一山一家の精神は、1966年の「常磐ハワイアンセンター」開業時に会社独自の「5つの精神」として伝承されます。

常磐ハワイアンセンターの5つの精神
(1)地域と共に歩め
(2)雇用を大切にしろ
(3)人の真似をするな
(4)自分たちで創れ
(5)大衆とともに歩め

これらの教えは会社の基盤となり、今も“福島県のハワイ”を支えている考え方の1つです。

素人集団の古い運営体制を変えた“TQC”

開業当初から、連日多くの観光客が訪れる「常磐ハワイアンセンター」。すべてが順調に見えましたが、その内情はさまざまな課題を抱えていました。炭礦からの移籍者はいつしか歳を重ね、若い従業員が極端に減少。加えて、炭礦時代の硬直した古い経営体質は残ったままだったのです。また1970〜80年代初頭には、全国に大型テーマパークやレジャー施設が次々と誕生し、将来の発展を危惧する要因となりました。

「競合に打ち勝つためには、社内改革が必要でした。炭礦業から始まった当社は、サービス業の経験がない素人集団。次第に会社の利益が優先となり、『失敗したら謝ればいい』とお客様を第一に考えたサービスとは程遠い状態が続いていました。そこで1982年から、経営体質改善を目指してTQC【※】への挑戦を始めました」

【※】Total Quality Controlの略称。製品やサービスの品質を管理するために、組織の部門・役職を問わず全員が密接に連携し、品質管理を効果的に実施すること。

「社内では、『TQC』という言葉が連日連夜飛び交っていました。お客様満足度を高めるために、各部署は日々の業務の課題を洗い出し、全員で解決策を考えて実行しました。会社を変えたいという強い思いから活動は熱を帯び、ついて行けず会社を去る人やノイローゼになって長期休暇をとる人も現れたくらいです。混乱が生じるなかでも限界に挑戦し続けていたところ、1988年に日本科学技術連盟からTQCの優れた企業に贈られるデミング賞を受賞しました。これは、国内のサービス業では初。振り返れば、それまでの苦労が報われた瞬間でした」

お客様第一、品質最優先のTQCの思想は、古い体質を覆す大きな原動力になりました。また、厳しい状況下でも粘り強く取り組む姿勢には、一山一家の精神も垣間見られます。

笑顔で来場者に接するスタッフ

1988年3月、いわき市に常磐自動車道が開通しました。さらに、首都圏の新規ユーザーと地元のリピーター獲得のために、総事業費52億円を投じて大規模温浴施設「スプリングパーク」を1990年にオープン。既存の施設にもリニューアルが加えられ、施設名も「常磐ハワイアンセンター」から「スパリゾートハワイアンズ」に変更しました。これらの施策が大当たりし、前年度を17万人以上も上回る144万人を記録しました。

現在のスプリングパークの様子

東日本大震災で被災したハワイアンズ

順調な成長を止めてしまったのが、2011年の東日本大震災です。下山田さんは「あの震災は会社にとって、炭礦を閉山するとき以来の大ピンチだった」と振り返ります。震災当日、ハワイアンズで何が起こっていたのでしょうか。

「大変な災害であるのはわかりましたが、震災当時は混乱によって情報が入らず、お客様が安全に帰宅できる状態かどうかも判断できませんでした。地震発生時、ハワイアンズ内にいたのは、主に都心から遊びに来ていたお客様と従業員あわせて約2,800名。まずお客様を館内の安全な場所に避難誘導しました。幸いにも、電気・ガス・水道は使えることがわかりました。電気が使えれば室温管理ができる、水道が使えればトイレを流せる、ガスが使えれば食事を作れる。そして、1,000名分を5日間提供できる食材もありました。家に帰ることができず、不安を抱いているお客様に安心してもらうため、その状況を伝えました」

混乱を極めるなか、従業員同士で約束したのは「安全確認ができていないことはしない」ということ。たとえ来場者から「すぐに帰りたい」と要望があっても、できないことを丁寧に説明しました。

下山田さんは震災当時、現場で避難指示を出した

「避難生活3日目、ようやく都心からの来場者をバスで東京へ送り届けることができました。その翌日からハワイアンズは休業。4月11日の余震で再び大きなダメージを受けつつも、館内の清掃や修復を行いました。休業から2カ月後、施設内の利用できる一部のホテルを今度は被災した近隣の人々のための二次避難所として開放し、約3万2,000名を受け入れました。その他にも、寝具の貸し出しや避難所での炊き出し、大浴場の開放など、積極的に復興支援を行いました」

休業から約11カ月後の2012年2月8日、ハワイアンズは完全復活を果たします。新コンセプトとして掲げた言葉は「きづなリゾート」。これには、「絆」と「人と人を結びつける綱(つな)」の2つの意味が込められています。

さまざまな困難のなか、スパリゾートハワイアンズは2016年1月に開業50年を迎え、次の50年へと歩みを進めています。常磐興産の今後の展望を下山田さんはこう語ります。

「一山一家の精神的な支柱は継承しつつ、時代の変化を的確にとらえて新たな挑戦をしていきたいですね。私たちは『炭礦』から『観光』へと事業を変えていきました。この次は、福島に光を当てるという意味で『復興(=福光)』を目指して、自分たちのできることをやり続けます」

スパリゾートハワイアンズの入り口ゲート

スパリゾートハワイアンズ設立の話から東日本大震災の話まで、常磐興産が歩んできた歴史を振り返っていただきました。インタビュー後編では、就活生が気になる新卒採用や人財教育について伺ってみましょう。

《後編に続く》

取材・執筆:水上歩美(ノオト) 編集:鬼頭佳代(ノオト) 撮影:森カズシゲ

お話を伺った方:下山田敏博さん