【平成の長崎】島鉄列車が正面衝突 車両ぐにゃり 響く叫び声 平成4(1992)年

 列車での帰路、うとうとしていた。ドカンという音とともに、床に投げ出された。焦げた臭いが充満し、誰かが「逃げろ」と叫ぶ。「事故ったんだな」-。26年前、県立諫早高の2年生だった福岡市の会社員、山口弘樹さん(43)は、当時の様子を鮮明に覚えている。
 1992(平成4)年11月3日午後7時半ごろ、南高吾妻町(現雲仙市)の島原鉄道・阿母崎-吾妻駅間で、列車が正面衝突。乗員乗客計76人が重軽傷を負った。単線を走る両列車は、吾妻駅で離合する予定だった。しかし、先に着いた上り列車が赤信号を見落とし、離合駅の勘違いも重なり、下り列車を待たずに出発。同駅に自動列車停止装置(ATS)は設置されていなかった。
 山口さんは事故の衝撃で床に倒れた後、立ち上がろうとしたが左半身が動かない。ほかの乗客に肩を貸してもらいながら車外に避難した。ぐにゃりと曲がった鋼鉄の車両。「死者が出たと思った」と振り返る。内臓破裂と骨折で、約1カ月半入院した。今でも電車内で寝るのは怖い。「何か起きたとき、身を守る準備だけはしておきたいから」
 島鉄は事故後、ダイヤ改正や離合駅の統一化など安全策を強化。約1億5千万円をかけてATS設置を進めた。現在、全24駅のうち全ての離合駅(12駅)とカーブ3カ所、終点の諫早、島原外港駅に設置。同社は「事故の教訓を忘れず、乗客の安全第一を徹底していきたい」としている。
(平成30年9月14日付長崎新聞より)
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