「国賊の子」いじめ抜かれ… 「世界文化」事件、家族も痛み

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「世界文化」事件

 映画や音楽、アートを楽しみ、カフェでひととき憩う。暮らしに根ざした京都の文化活動と言論が、ファシズムの軍靴に踏みにじられていく。1937年、治安維持法違反容疑で新村猛(1905~1992年)らが検挙された「世界文化」事件。五条署に父が連れ去られてからの日々を、長女の原夏子さんは京都市北区の祖父の家で寂しく過ごしていた。言論を統制し自由を弾圧する中で、日本は戦争の泥沼に踏み込んでいった。

 人形の乳母車を押して、同じ鞍馬口通室町付近の町内に住む祖父の家へ。33歳だった父猛が五条署に連行されたとき、夏子さんは4歳。その引っ越しの記憶しかない。

 「お父さんは病気で入院しているんだよ」。治安維持法検挙を伏せて、夏子さんは家族にそう言い聞かされた。

 ≪トウチヤンガ カヘツタラ ゴホウビニ イイトコロヘ タクサンツレテユキマセウネ トウチヤンハ マイニチ ゴホンヲヨミナガラ ビョウキノナホルノヲ マツテイマス≫

 このカタカナで書かれたはがきは、夏子さんが2014年秋、名古屋市内の亡き父の家を整理していた時に見つけた。京都拘置所からおそらく検閲も受け、幼い娘へつづったものだ。

 保釈されて父が帰ってきて2年、日本は対米戦争に突入。夏子さんは国民学校から、宮津市の寺に学童疎開した。当時夏子さんは知らなかったが、弟の徹さん=児童文学者、故人=は学校で痛ましい体験をしていた。 ≪敗戦まで楽しかったという思い出はまずない。いじめ抜かれたという記憶だけがのこっている。ひどいあだ名をつけられたり、教壇で猿の物まねをさせられたり、黒板消しで体中まっ白にさせられたりはまだがまんができた。たとえばわり箸の先に針をつけた武器で傷痕をのこさないために髪の毛の頭をつつかれるようないじめ方など、その耐えがたかった痛みは今なおそれこそ脳裡に残る。(中略)わたしの父は「治安維持法」で逮捕されたことがあり、わたしは“国賊”の子だったのである≫(雑誌「望星」、1975年)

 夏子さんは今、85歳。遺品には分厚い予審記録、弁護士メモなどがあり、資料を生かしたいと願っている。次男の恭(やすし)さん(71)は戦後生まれで、北区の旧宅にある新村出記念財団嘱託。祖父出が、治安維持法で勾留された猛への寛大な処分を求め京都地裁に提出した上申書の草稿は、同財団重山文庫で閲覧できる。朱筆で何カ所も校正され、≪父親訓育の甚だ到らざりし所と深甚の恐懼≫などと、巻紙に毛筆でしたためられている。

 文化活動と言論が、こじつけで犯罪にされてしまう治安維持法の恐ろしさ。その理不尽さの傷と痛みは家族にも及んだ。