高田元知事死去

 1982~98年という時期は、日本経済の成長がバブル景気で頂点に達し、それが崩壊して低迷に入った転換期に当たる▲もしこの時期に、時代の変化を見据えて方向転換が行われていれば、現在の県政上の重要課題はどうなっていただろうか。そう夢想することがある。国営諫早湾干拓、九州新幹線長崎ルート、石木ダム▲この期間に県政を舵(かじ)取りした元知事、高田勇氏が死去した。長崎大水害や雲仙・普賢岳噴火災害からの復興を担い、企業誘致や離島振興などに熱心に取り組んだ。豊かな都会との経済格差、生活格差を少しでも縮めるために尽力した▲新幹線の実現に奔走したのは、本県の重要産業の一つである観光の発展に新幹線は不可欠だという確信からだったろう。諫干には大規模農地開拓と防災効果を託し、石木ダムには治水と利水両面での役割を期待した▲退任後、20年もの歳月が経過した。だが残念ながら、新幹線も諫干も石木ダムも、いまだ解決することのない問題を引きずっている。高田知事の取り組みは今、県民からどのように事後評価されているだろうか▲時代の変化に直面してもぶれることなく、本県のためという信念を貫く人であったことは確かだろう。東京から辞令を受けてやって来た元自治官僚が、本県に根を下ろして生涯を閉じた。(泉)

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