【この人にこのテーマ】〈地球温暖化対策カーボンプライシングが切り札?〉《日本鉄鋼連盟・エネルギー技術委員長、手塚宏之氏に聞く》日本鉄鋼業「負担増は競争力低下招く」

 地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」の発効を受けて、各国が長期目標の策定を進めている。日本は2016年に閣議決定した地球温暖化対策計画の中に「2050年までに温室効果ガスを80%削減」という目標を盛り込んだ。国連への登録を控え、長期目標に関する議論が活発化し始める中、取りざたされているのが「カーボンプライシング(炭素の価格付け、CP)」。温暖化対策の切り札との意見がある一方、経済への悪影響を懸念する見方や、効果そのものを疑問視する声も多い。この問題に詳しい日本鉄鋼連盟の手塚宏之エネルギー技術委員長(JFEスチール理事)に、CPとは何か、導入された場合の鉄鋼業界への影響などを聞いた。(高田 潤)

――長期目標の達成に向けて、その主要な施策の一つとしてCPが有効との説があります。そもそもCPとはどのようなものなのですか。

 「温暖化を防止するには、『省エネを徹底する』『二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスを排出しない再生可能エネルギーを普及させる』―といった対策があるのですが、それ以外に経済学の見地から『外部不経済の内部化』という考え方があります。CO2の多くは電力や工業製品をつくる際に派生して出てくる。これが温暖化という害を招いている。この害を外部不経済、あるいはコストとして内部化(見える化)することによって発生を抑制できるとの考え方です。つまり、そのコストを価格に上乗せし、温暖化の主要因である化石燃料を安く使えないようにするというわけです」

日本鉄鋼連盟・手塚エネルギー技術委員長

 「具体的には、CO2排出に対する課税、あるいは排出権に価格を付けて市場で取引できるようにする『排出権取引』などが代表的です。こうした措置はCO2に直接価格を付けるので『明示的CP』と呼ばれます。これに対し『暗示的CP』といえるのが、エネルギー関連の諸課税、再生可能エネルギーの買取制度(FIT)などで、規制などによって結果的にCO2の排出を抑制する仕組みです。企業に省エネを促す日本の省エネ法も暗示的CPの一種といえます」

――日本はCPの導入で遅れている、といった声があります。

 「国レベルの排出権取引制度が導入されていないことなどから、そういった指摘があるのでしょう。ただ、日本でも地球温暖化対策税(温対税)が導入されているほか、エネルギー諸税やFITなどの暗示的CPもあり、遅れているという指摘は当たりません。温対税の税額289円(CO21トン当たり)が諸外国のCPと比べて低いという指摘もありますが、これも現状を正しくみていない。1970年代のオイルショックを機に導入された石油税(現石油・石炭税)などの炭素従量課税額は4千円に上ります。温対税はこれに上乗せする形で課されていて、これを国民全体で負担しているわけです。またFIT賦課金の国民負担は年間2兆円超に上ります。明示的、暗示的CPを合わせた負担総額はCO21トン当たり2万円を上回るとの試算もあるくらいです。諸外国のCPと比べて、決して劣っているとはいえません。日本は化石燃料に対する課税を40年以上前から始めており、エネルギー消費の効率化を促してきました。その結果が現在の世界トップクラスのエネルギー効率につながっていると思います」

――なぜ今、日本でCPの議論が再燃しているのですか。

 「16年5月に地球温暖化対策計画が閣議決定され、50年までに80%削減という長期目標が政府の目指すべき目標として位置付けられました。この目標は極めて野心的で『現状の技術の延長では達成不可能』というのが共通認識とはいえ、達成に向けて取り組まなければならない。そこで、環境省の研究会などで昨年来、CPの在り方について議論が続けられています。ちなみに、経済産業省が昨年4月にまとめた『長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書』は、CPについて『導入は時期尚早。慎重な検討が必要』としています。一方、16年5月のG7伊勢志摩サミットで先進国首脳が温暖化対策の取り組み強化で合意したのに続き、同年11月にパリ協定が発効すると、前後して中国や韓国、メキシコなどが相次ぎCP政策の新規導入を公表しました。こうした世界的な動きもあって、日本の取り組み強化が強調され始めたといえます。温対税289円だけを見て、15~20ドルとされる世界の趨勢と比べ低いという環境派の方々の主張もCP導入の声が高まっている背景にあると思います」

――CPの中で排出権取引(キャップ・アンド・トレード=C&T)がクローズアップされています。

 「CPの概念は広範にわたりますが、それぞれの施策には一長一短があります。例えば炭素課税制度は単純で比較的分かりやすいというメリットがある一方、削減量が不確定で、政治的にも導入のハードルが高い。一方のC&Tはキャップ(排出枠)のかけ方が複雑かつ政治的になるという面があるものの、とりあえず事業者のCO2排出の削減量を確定できます。導入の政治的ハードルが税に比べ低いという点もC&Tが着目される要因になっています」

――鉄鋼業界はCPの導入拡大に一貫して反対しています。なぜですか。

 「一つは日本の製造業の国際競争力を大きく毀損(きそん)するからです。日本の産業は既にエネルギー諸課税で4千円のCPを負担しています。その中で国際競争を強いられているわけで、さらなる負担増は国際競争力を一段と低下させかねない。日本の鋼材の60%は直接・間接に海外で使われています。日本鉄鋼業だけが突出して高い環境コスト負担を強いられると、致命的な競争力低下をもたらします」

 「そうなると鉄の生産がエネルギー効率の低い新興国など他の国に置き換わるだけです。これは地球全体で見れば、温暖化対策に逆行する。これは日本鉄鋼業がわがままで言っているわけではない。地球環境産業技術研究機構(RITE)の最近の調査では、日本鉄鋼業のエネルギー効率は世界トップクラスですから、他国に鉄鋼生産が移ることが地球全体で見て効率悪化を招き、地球環境にとってもマイナスです」

 「国際競争にさらされている産業をCPから免除すればよいという意見がありますが、これも現実的ではない。例えば、一般的に国際競争にさらされていない電力業界は免除にはなりませんが、電力業界の負担増は電力料金に上乗せされて企業や個人が負担することになります。結局、電力料金の上昇は産業の国際競争力を毀損する要因となります。また、海外から輸入する製品に対して炭素従量課税するというのも非現実的です」

 実効性は不透明/C&Tの導入、炭素リーケージ招く/温暖化対策の長期目標「技術革新しかない」

――C&Tについてはどうですか。

 「C&Tについては、欧州で10年の歴史を持つEU―ETSをきちんと検証すべきです。この制度は基本的に初期設定した排出枠(キャップ)以上には排出量は減らない。リーマン・ショック時は、生産活動の低下によって排出権が余り、取引価格は暴落しました。価格が下がれば排出量を減らそうというインセンティブは働かず、排出量の削減にどれだけ効果があったかは不透明です」

――C&Tは技術革新をもたらすインセンティブになるとの指摘もあります。

 「キャップはそもそも政府が向こう数年間の枠を各企業に対して設定するものです。企業の利益計画は3~5年が一般的なので、キャップに対応するための短期的な投資が行われるだけで、中長期的な投資計画には反映されない。過去の実績からキャップが設定される場合、向こう数年間、大きなキャップを獲得するために、あえて当面の非効率を維持するといった本末転倒の動きも出てきかねない。長期目標達成のためには革新技術の開発・実用化が必要ですが、それは早くても15~20年後の話です。C&Tが革新技術の開発をもたらすというのは楽観的すぎるでしょう。」

――中国では今年1月から排出権取引制度がスタートしました。

 「中国は当初、17年からスタートするとしていましたが、大幅に遅れました。制度設計に時間がかかったとみられ、当面は電力業界だけを対象とした制度となりました。鉄鋼をはじめとする産業セクターで導入するのは20年以降とされています。中国は鉄鋼やセメント、アルミ産業などの構造改革を進めており、中小・零細企業などの非効率設備を淘汰しています。仮にC&Tを導入すると、こうした工場閉鎖で余った排出枠が売却され、他社の排出を増やせることになってしまう。構造改革を進めている国にC&Tはなじみません。国情によって制度の適不適があるわけで、C&TがEUで導入され、中国で検討されているからといって、日本も導入すべきという議論は乱暴です」

 「日本でのC&T導入はエネルギー効率の低い国に生産が移るだけという『炭素リーケージ』が起こると産業界は主張していますが、中国など新興国の技術向上によって炭素リーケージは起こらないとの指摘もあります。こうした指摘は一部の最新設備には当てはまりますが、全体を見ていない。例えば中国の最新鋭製鉄所のケースです。最新鋭の設備が導入され、一面では日本よりもエネルギー効率が高いといえます。ただ、深刻な工業用水不足の中で、電力を大量に使う海水淡水化プラントを導入せざるを得ないといった非効率な側面もあります。先ほど紹介した通り、日本の鉄鋼業のエネルギー効率は依然として世界トップにいますので、炭素リーケージは不可避です」

――温暖化対策の長期目標はどうあるべきですか。

 「やはり技術革新しかないでしょう。再生可能エネルギーや安全を前提とした原子力発電も有効ですが、80%という大幅削減を目指すには、CCS(二酸化炭素の回収・貯留)、CCU(二酸化炭素の回収・利用)といった技術の実用化が不可欠になるかもしれないし、蓄電技術などの進化も必要でしょう」

 「日本の鉄鋼業界は現在、三つのエコと呼ぶ地球温暖化対策を進めています。また水素還元製鉄法の実用化を目指したコース50プロジェクト、省エネ効果の高い製銑原料フェロコークスの実用化も目指しています。これらで長期の課題は全て解決できるとは思いませんが、温暖化対策の解決のカギは技術革新であり、決して短期志向のCPではないはずです」

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