【講演録】国際的大規模イベントのセキュリティ対策 公益財団法人 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 警備局長 岩下剛氏

公益財団法人 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 警備局長 岩下剛氏

東京2020オリンピックは2020年7月24日に開幕し、33競技339種目で競われます。参加する選手は最大1万1090人。8月25日開幕の東京2020パラリンピックは22競技、540種目で選手数の最大4400人です。

1964年の東京オリンピックと比較すると、種目数は163から339とほぼ倍になっているにも関わらず、全体日程は2日間しか延びていません。東京2020オリンピック・パラリンピックは、規模が大きいだけではなく日程的にかなり過密で複雑なイベントになっています。

 

「オリンピックは平時における世界最大かつ最も複雑なイベント」というソルトレイク2002大会組織委員会のミット・ロムニー会長の言葉は我々の業界の格言となっています。

東京2020大会の来場観客数は1000万人と言われています。2012年のロンドン2012大会では、チケットを持たない観客や大会中のライブサイトなどの観客を含めた人出が約2000万人でしたから、すべての観客数となると、このくらいになると考えた方がいいでしょう。ボランティアを合わせたスタッフだけでも12万人に上り、サッカーワールドカップと比較しても桁違いなイベントです。

世界最大のイベント警備は、必然的に世界最大になります。治安機関も含めたセキュリティ要員は5万人を超えると見積もられています。

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想像できることは創造できる

私はイベントのセキュリティの第一歩は脅威を想像することだと考えています。そして、脅威に備えて関係機関や国民一人ひとりを巻き込んで準備することが重要になります。発生時の甚大性から我が国における最大の脅威として挙げられるのは、テロと自然災害です。

我が警備局のモットーは想像と準備です。私が警視庁に所属していたときに警視庁内にオリンピック・パラリンピック対策本部が設置されていましたが、そこのスローガンに「想像できることは創造できる」と書かれていました。私が尊敬する先輩の言葉に「憂いなければ備えなし」という言葉があります。これらの格言に共通するのは、具体的なリスクや憂いを想像し、それに備えた準備を実施するという点です。

 

東京2020オリンピック・パラリンピックの会場は、都内の25カ所と都外の18カ所、1都1道7県に分布し、自転車ロードレースが山梨県を通過することも検討されております(2018年8月9日、組織委員会は、自転車ロードレースのコースを公表し、山梨県を通過することを正式に発表)。ハンドボールや車いすラグビーなどが行われる国立代々木競技場をはじめ多くの会場が都心にあるため、高層ビルが立ち並ぶエリアに人や車が集中することは容易に想像できます。つまり東京2020大会は、1千万人を超える都民や首都の経済社会活動との共存が不可欠です。

1.テロのリスク

オリンピック・パラリンピックの脅威としてまず想像しなくてはいけないのがテロです。過去のオリンピックを振り返るとテロが2回発生しています。1972年のミュンヘン1972大会ではイスラエルの選手団を中心に11人の死者が出る大きな被害が発生し、大会中止の議論までなされました。その後、オリンピックの警備は回を重ねるごとに厳重になりますが、1996年のアトランタ1996大会中に五輪百周年記念公園で爆弾テロが起こり、2人が亡くなりました。

近年のスポーツ大会を狙った大規模なテロとしては、2013年にアメリカ・ボストンマラソン大会で起きた爆弾テロ、2015年にフランスで男子サッカーのフランス対ドイツ戦の際に起きた同時多発テロがあります。

また、スポーツ以外では、先にあげたフランスの同時多発テロで劇場やレストラン等が襲撃され、2017年にはイギリスでアリアナ・グランデのコンサートの終了後に爆弾テロが発生しています。
このようにオリンピック・パラリンピックにとって、ソフトターゲットを標的とするテロは大きな脅威なのです。

2.自然災害のリスク

脅威の2つ目に挙げられるのは自然災害です。その中で大会運営側がもっとも気をつけるべきは猛暑の備えです。猛暑対策には何よりも選手や観客、運営スタッフが炎天下にいる時間を減らすことが重要です。ところが、過去のオリンピックでは、繰り返し、セキュリティチェックのために関係者や来場する観客が長蛇の列をつくっています。セキュリティチェックは不可欠ですが、炎天下の中で1時間も並ばせるのは現実的ではないという指摘をたくさん受けています。そのため、我々はセキュリティチェックの効率化を至上課題としています。

同時に、競技スケジュールに影響しかねない自然災害には、ゲリラ豪雨や落雷等があります。2014年には、東京のゲリラ豪雨で停電が発生し、一部の駅が冠水し交通網が麻痺するなど都市機能に大きな影響が出ました。停電や輸送機能の麻痺等は、大会の大きな障害となります。

過去には、スポーツ活動中に落雷により亡くなった方もいます。オリンピック・パラリンピックの選手や来場者、関係者から犠牲者を出すわけにはいけません。

このような大きな被害にはならなくとも、気象状況によって野外競技が影響を受けるケースも考えられます。超過密日程のオリンピック・パラリンピックで全日程を消化できず、順延になった場合のスタッフの手配や輸送の再検討、再配置、チケットの払い戻しなど様々な問題にも備える必要があります。平昌2018冬季大会では強風が吹き荒れた2月14日に、来場客入場口のテントが吹き飛び運営が混乱しました。こうした有事に備えた代替措置、業界用語で言うところの「プランB」の準備が重要になってきます。

3.雑踏のリスク

テロ、自然災害に続く3つ目の脅威は雑踏です。セキュリティチェックを終えて入場した観客は心配なしとはなりません。会場内のトラブルにも対処しなくてはなりません。大勢の人の流れの中に、何らかの異常がある時、早い段階でこれに気づき、対処することが有効です。テロの時にも、群衆雪崩と呼ばれる雑踏事故でも、この点については同じです。

また、東京2020大会開催に伴う課題の1つに輸送がありますが、1万人の選手輸送や観客の移動を安全かつ確実に実施するのは簡単ではありません。交通対策については、組織委員会と東京都、内閣官房をはじめとする政府が、三位一体となって交通総量の抑制を呼びかけはじめたところです。

4.サイバー攻撃のリスク

4つ目の脅威はサイバー攻撃です。大会運営はすべからくネットワークに依存しています。例えば、チケット管理システムやセキュリティ用カメラ、オペレーションセンターの運営システム、身分証の発行など、数多くのものがネットワークにつながって運用されており、メガイベントを的確に動かすためには、ネットワーク環境を有効に活用することが不可欠と言えます。

大会運営がネットワーク環境に依存していることは、様々な場面でサイバー攻撃の恐れがあるということです。大きな被害例としては2017年に150カ国で猛威を振るったランサムウェアのWannaCry(ワナクライ)があります。イギリスでは国民保険サービスのシステムが被害に遭い、診察の中断や緊急患者の受入ができなかったと報道されました。

5.レピュテーション低下のリスク

5つ目の脅威は評判、レピュテーションの低下です。オリンピックの歴史の中で、大会そのものが開催できなかったことが過去に3度あります。理由は戦争ですが、戦争は最も影響度の高いリスク要因、つまり最悪の事態です。

一方、大会の中止までいかなくても、大会をボイコットする国が出たり、ミュンヘン1972大会やアトランタ1996大会で発生したテロの他、大会決算の大赤字や開催立候補都市によるIOC委員の買収など、オリンピックそのものの存在意義や価値が問われる事件が起こると低下するのがレピュテーションです。組織委員会やオリンピックそのものの信用が失墜するこういった要素の排除に取り組むのも我々です。近年は環境に配慮した大会が求められるのも、同じ理由です。

警備にあたる警察機動隊(出典:写真AC)

警備体制の構築が最大の課題

では、これらのリスクを踏まえ、実際にどのような対策、準備を実施しているのかを紹介します。組織委員会は、本年3月28日に大会セキュリティガイドラインの概略という文書を公表しました。

簡単に言えば、選手や関係者、観客を含め競技会場に入る全ての人、物、車にはX線や金属探知機を使ったセキュリティチェックを行う。そして会場にはチェックを受けた物、車両しか入らせないようにする。これを担保するために全ての会場を高いフェンスで囲み、これを補完するために会場のいたるところにセキュリティカメラを設置します。我々にとってこれらを設置し、運用するだけではなく、こうした措置が講じられることを入場者一人ひとりに理解していただくことも重要です。もちろん、先進機器をいくら使ったとしても、メガイベントにおいてこうした警備をやろうとすれば、相当数の警備員が必要になります。

大きな課題に挙げられるのは警備体制の構築です。警備体制の効率化を難しくする要因が東京にはたくさんあります。1日に必要な民間警備員は、概算段階でも1万人を超え、世界でまったく例のないレベルになると見込まれています。しかも大会期間が1カ月半あるロングラン警備となります。

近年の大会を悩ましているのが、民間警備員の不足です。ロンドン2012大会では、1万人集めると言っていた大規模警備会社が、実際には4000人しか集められませんでした。リオ2016大会でも警備員不足で約2800人の警察官のOBが急遽動員されました。平昌2018冬季大会のときは、ノロウィルスで開幕前に1200人もの警備員が宿舎待機を余儀なくされ、民間警備員が突然不足する事態になりましたが、事前にプランBとして準備されていた陸軍兵士の緊急動員により、大会運営に大きなダメージはなかったそうです。

14社の警備JV構築

我々はオールジャパンで警備員を確保しようと、本年4月、首都圏の警備会社14社からなる大会警備共同企業体、いわゆるジョイントベンチャーを発足させ、覚書を締結しました。最終的には100を超える企業と協力できるのではと期待しています。

莫大な数の警備員の確保を目指す一方で、高性能カメラや侵入検知センサ等、最新鋭の資機材で会場を守る対策も進めています。カメラ性能の向上で一台のカメラの守備範囲が広くなっていますが、東京2020大会では競技会場が点在しているので、設置されるカメラの台数は史上最多になると思います。

顔認証システムの導入

猛暑の東京では、過去の大会でみられた入場待ちの長蛇の列を避けなくてはなりません。東京2020大会では、来場者のチェックを迅速に行うため、オリンピック・パラリンピック史上初めて、選手を含め、身分証の発給を受ける全ての大会関係者に対し、顔認証システムを導入する予定です。識別は人より早く、間違いがありません。導入費用は決して安くありませんが、顔認証システム導入により人的コストが大きくカットできれば、全体として警備費用のコストカットにもつながると考えています。

昨年の8月、効率的なセキュリティチェックのための実験も行いました。こうした実験は過去のオリンピックでは例がないと思います。暑さ対策に危機感を持つとともに、都市との共存のなかで効率的なセキュリティチェックに努めています。この夏にもう一度実証実験を行う予定です。

避難計画・雑踏警備対策

自然災害の発生やテロの襲撃に備え、避難計画も作成しています。避難経路は障がい者の移動も考慮しなくてはなりません。大会前にスタッフへの訓練も実施の必要があります。

雑踏警備対策としては、多くの人が集まり移動する最寄りの駅から競技場までの道のり、ラストマイル対策を進めています。交差点や横断歩道、歩道橋など雑踏事故の可能性のあるところでの安全な誘導が対策ポイントの1つになります。他にも、例えば選手村に宿泊しない人気のある選手が、人が多く集まる場所に突然現れたときにも、対応しなくてはなりません。事前に情報が入る可能性は低いことも対応を難しくします。

サイバーセキュリティ対策

世界中のハッカーの標的になるのがオリンピック・パラリンピックです。我々はサイバーセキュリティ強化のために、過去大会と異なり、サイバーセキュリティ対策を情報システム部門のみに委ねることはせず、警備局も所管するようにしました。

ハッカーの目的は企業内の内部データや個人情報の取得ではなく、大会運営のシステムへの介入です。リオ2016大会では十分な対策が取られていましたが、大会運用システムではなく比較的対策の手薄な州政府や大会特設サイトが集中的に攻撃を受けたと聞いています。大会運営に直接影響のあるシステムのみならず、関連システムのセキュリティ対策のため、大会スポンサー企業や政府機関、重要インフラ業者等との連携も同時に進める必要があります。

最後に、これまでに話してきた対策一つ一つの確実な実施がレピュテーションリスクの回避につながると考えています。

開催まで2年を切りました。皆様と協力して全力疾走していきたいと思います。

(了)

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