「リレーコラム」別格の存在感示した背番号「10」 桐光学園のストライカー西川潤

桐光学園―昌平の後半、競り合う桐光学園・西川(右)=三重交通Gスポーツの杜鈴鹿

 灼熱(しゃくねつ)のグラウンドの中で、ひときわ輝く選手がいた。

 西川潤、16歳。181センチ、64キロ。今夏、東海4県を中心に開催された全国高校総体の男子サッカーで、桐光学園(神奈川)を準優勝に導いた左利きのストライカーだ。

 2年生ながらエースナンバー「10」を背負い、準々決勝ではハットトリックを達成し、決勝では3戦連続のゴールを挙げた。

 優勝こそならなかったが、存在感は別格だった。

 中学時代は横浜Mの下部組織に所属。足元の高い技術を買われ、ユースへの昇格を打診されたが誘いを断り、あえて桐光学園への進学を選択した。

 プロ選手になるには遠回りのようにも思えるが、本人は「自分に足りないのはメンタル的な部分。ユースにはない高校サッカーの泥臭さを身につけたい」と周囲の反対を押し切って「いばらの道」を選んだ。

 入学後すぐに頭角を現し、1年時から10番を与えられた。桐光学園の左利きで10番といえば、元日本代表で海外でもプレーした中村俊輔(磐田)がすぐに思いつく。

 タイプこそ違うが、試合後に複数の記者を引き連れながら堂々と話す姿からは、新たなスターの誕生を予感させる。

 桐光学園の鈴木勝大監督も「西川の成長には驚かされる。表情も良くなってきた。日本サッカーの宝になり得る」と太鼓判を押す。

 本人が「武器」と語るのはスピードと切れのあるドリブルだ。

 強豪、富山第一を破った準々決勝では、センターライン付近からドリブルを開始。追いすがる相手の中盤二人をスピードで振り切ると、さらに待ち構えたDF二人の間を切り裂き、最後はGKもかわしてゴールした。

 相手の大塚一朗監督も「すごいというのは分かっていたが…」と絶句する衝撃の5人抜きだった。

 プレーの多彩さにも注目したい。準々決勝ではDFの死角に入り、クロスを足で合わせる形から2ゴール。決勝では頭でもゴールを奪った。

 本人も「今はドリブラーであるという以上に、ストライカーとしての意識が高まってきている」と話す。さらに、左足のキックは正確で、CKからアシストを記録する場面もあった。

 視察に訪れていたあるJリーグクラブのスカウトも「止められない。彼は間違いなく争奪戦になる」と興味津々だ。

 本人も「注目されて緊張はない。むしろうれしい」と強心臓ぶりを見せていた。

 この大会は「西川潤の大会」になるはずだった。

 8月13日の山梨学院との決勝。自らのゴールで1―0とリードし、優勝目前の後半ロスタイムに入っていた。

 カウンターから西川がGKとの1対1となり、だめ押しのチャンスを迎える。だが自慢の左足から放たれたシュートは足で防がれ、その流れからパワープレーで同点に追いつかれた。

 運動量の落ちた延長戦は何もさせてもらえず、結局逆転負けで準優勝に終わった。

 試合後「あそこの場面は何度も思い出してしまう」と唇をかむ西川のつらそうな姿があった。

 歓喜を目前にしての挫折。残酷なまでの勝者と敗者のコントラスト。これもまた一発勝負ならではの経験で、こうした悔しさも西川があえて高校サッカーを選んだからこそ味わえるものだ。

 Jリーグクラブの育成組織がプロ輩出の中心となった今でも、日本代表の主軸を担ってきた選手には、意外なほど高校サッカー出身者が多い。

 長年主将を務めたアイントラハト・フランクフルトの長谷部誠(静岡・藤枝東)やメルボルン・ビクトリーの本田圭佑(石川・星稜)をはじめ、ヘタフェの柴崎岳(青森山田)、ブレーメンの大迫勇也(鹿児島城西)ら。

 今後代表の中心となっていくであろう選手も、高校サッカーでさまざまな歓喜や挫折を経験している。

 全国の舞台で衝撃を残した西川が、将来彼らと肩を並べられるか。現在はU―16(16歳以下)日本代表で10番を背負う。まずは20日からマレーシアで行われるU―16アジア選手権で結果を残せるかに注目したい。

 ベスト4に入れば、その先には来年ペルーで開催されるU―17ワールドカップ(W杯)という、世界の舞台が待っている。

石川 悠吾(いしかわ・ゆうご)プロフィル

2017年共同通信入社。広島支局で県警担当を経て、18年5月から本社運動部で勤務。遊軍記者として、サッカー、陸上、インターハイなどを取材。神奈川県出身。

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