「サッカーコラム」森保ジャパン、最高の船出 その攻撃は見ていて楽しい

日本―コスタリカ 後半、ゴールを決め駆けだす南野=パナスタ

 もしかして、初めて味わう感覚かもしれない―。長くサッカーを見てきたが、新たに立ち上げた日本代表のスタイルが、直前のチームと比べてここまで変わったのは記憶がない。それは何か。前にボールを運ぶ。その作業の全てが「ゴールを狙う」という目的のため集約されているのだ。これまでの代表に散見された意味のない球回しがないだけに、森保ジャパンは見ていて楽しい。

 日本代表には、いくつかのターニングポイントがあった。特にJリーグ開幕を翌年に控えた1992年に誕生したチームは、大きな影響力を持った。初の外国人プロ監督のハンス・オフトに率いられ「ドーハの悲劇」として知られる93年10月28日のイラク戦までを過ごしたチームは、戦術面での常識をこの国に植え付けたといえる。ここで培われた基礎がなかったら、その後に日本が見せた長足の進歩はなかっただろう。

 チームの編成にしてもそうだった。スター選手を並べれば代表チームができるわけではないことを示した。オフト・ジャパンの初陣となった92年5月31日のアルゼンチン戦。“中央”ではまったく無名の守備的MFがメンバー表に名を連ねた。だから、多くの記者は名前の読み方さえ分からなかった。「モリ・ポイチ?」。それが後に「ポイチ」の愛称で呼ばれるようになる現在の日本代表監督、森保一だった。オフトに導かれた日本代表、そして日本のサッカーはこれを機に戦術やフォーメーションを、より考えるようになった。

 7日札幌で開催予定だったチリ戦が北海道東部胆振地震の影響で中止になったため、森保監督がA代表を率いる初戦は11日に大阪で行われたコスタリカ戦となった。一言で表せば、魅力的な試合だった。もちろん若手に切り替えてきたコスタリカのチーム力が、思ったほど高くなかったというのもあったが、それを差し引いても素晴らしい内容だった。

 レベルの高い選手同士は、コンビを合わせるのに多くの時間を必要としない。それは欧州や南米の一流選手に限った話だと思っていた。ところが日本人でも可能だというのは新鮮な驚きだった。確かに、先発出場した遠藤航、中島翔哉、南野拓実、室屋成の4人はリオデジャネイロ五輪のメンバー。気心は知れている。これに一世代下の堂安律、そして30歳の小林悠が絡んでも、ノッキングを起こすことはなかった。逆に何年も同じチームでプレーしているような見事な連携を見て、選手たちのサッカーIQの高さを見せた。

 小林を除けば、攻撃陣には若い選手が多いのだが、それは年齢の上だけであって経験という面では問題はない。中島と南野、堂安はそれぞれ欧州のクラブで活躍し、ゴールという結果も残している。状況を考え自らの考えでアクションを起こすという意味では、年齢こそ大きく変わらないものの、先日のアジア大会で準優勝したメンバーとは大きな差があるというのが現実だろう。それを思えば、サッカーではいかに考えることが大切かということが分かる。

 リオ五輪以降の世代はボール扱いの繊細さにおいて、ロンドン五輪以前の選手とは明らかに違う気がする。中島と堂安の両翼、そして前線の南野の3人は、相手を打ち負かすドリブルを持っている。しかも、シュートに対する意識がとても高い。これは過去の日本代表が持ち合わせていなかった武器だ。このように個人の力でゴールをこじ開けられる選手がいなければ、アジアではまだしも、世界に舞台を移したときには行き詰るだろう。ワールドカップ(W杯)ロシア大会では、このことを乾貴士が証明した。

 大阪入りする前の札幌の練習でも、攻撃面に多くの時間が割かれたという。日本が継続している球離れの速いパスワークは、このチームにも引き継がれている。しかも、キャプテンを任された青山敏弘が復帰したことで、一発で相手の急所を突く高速の縦パスも加わった。

 トルシエやハリルホジッチが良い例だが、監督というのはチームを自分の色に染めたがるものだ。対照的に森保監督は、試合前に「選手それぞれが持っている特徴をチームの戦いのなかで出してほしい」と指示し、自由を容認したという。それが若い選手の積極性を引き出し、結果として攻撃のバリエーションが増えた。ボールが停滞することもなく、見ていてもやっていても楽しい試合内容になったのではないか。

 新たな船出としては、これ以上ない合格点だろう。4年後、このチームがどこまで変化するのかが今から楽しみだ。森保監督は今後、メンバー選びに頭を悩ますだろう。ウルグアイとパナマと対する「10月シリーズ」には、欧州で活躍する経験豊富なロシアW杯組も合流する。そこから生き残りを懸けたポジション争いが始まる。熾烈(しれつ)な競争を前に今回のコスタリカ戦は、選手個々が高いモチベーションを得るための満足できる内容となったのではないだろうか。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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