電車に発砲…米軍事件相次いだ本土 沖縄に基地集中、進む風化

埼玉県狭山市の米軍ジョンソン基地内で行われたロングプリー事件の現場検証=1958年9月

 戦後、日本本土には広大な米軍基地が存在し、米兵らによる日本人を巻き添えにした事件や事故が相次いだ。その一つが60年前、埼玉県で走行中の電車に米兵が発砲し、大学生が死亡した事件だ。基地の大半が沖縄に集中する今、記憶は風化しつつある。当時を知る関係者は「過去の事件と向き合い、基地問題の解決策を考え続ける必要がある」と訴えている。(共同通信=沢田和樹)

 事件は1958年9月7日に起きた。狭山市などにあった米軍ジョンソン基地(78年返還、現在の航空自衛隊入間基地)で、警戒監視の任務に当たっていた3等兵=当時(19)=が基地内を通過する西武池袋線電車に向けて発砲。1両目に乗っていた武蔵野音楽大の男子学生=当時(22)=が被弾し、死亡した。3等兵の名から「ロングプリー事件」と呼ばれている。

 「とても暑い日だった。通訳として膨大な捜査書類の翻訳に徹夜で取り組んだのを覚えている」。米軍憲兵隊犯罪調査課に勤めていた秋本恵信さん(90)=埼玉県飯能市=は振り返る。3等兵は憲兵隊の捜査に「空撃ちの練習で実弾を抜くのを忘れた」と釈明した。

禁錮10月

 在日米軍の権限などを定めた日米行政協定(現・日米地位協定)では、公務中の事件は米軍が裁判権を持つと規定。3等兵は任務中だったが、空撃ちの練習は任務とは無関係で、米軍内でも考えは分かれた。上司から意見を求められた秋本さんは「罪のない人を撃つのは公務なのか」と強く主張したという。

 最終的に米軍は、不法に武器を使ったとして「公務外」と判断。三等兵は日本の裁判を受けることになり、浦和地裁(現・さいたま地裁)は業務上過失致死罪で禁錮10月の判決を下した。

 「こんなに軽い判決で良いのか」。秋本さんは思ったが、日本の裁判権が認められること自体が珍しく、同僚からは「良かったな」とねぎらわれた。「納得のいかない事件もたくさんあった。『公務の定義をはっきりさせてくれ』と言って上司とやり合ったこともある」と明かす。

「凄惨な事件」

 当時、本土では米軍の事件が相次いでいた。前年の57年1月には群馬県の米軍演習場で薬きょうを拾っていた女性を米兵が射殺する「ジラード事件」が発生。米側の裁判権放棄の見返りに、日本側は殺人罪より軽い傷害致死罪で起訴するとの密約を結んでいたことが後に明らかになった。

 同年8月には、茨城県の農道で異常な低空飛行をした米軍機が自転車に乗った親子に衝突、母親が死亡、息子が重傷を負う「ゴードン事件」が起きた。公務中の事件として日本の裁判権は認められなかった。

 秋本さんは、住民が巻き添えになった米軍機墜落や米兵の飲酒運転など多くの捜査に関わり、被害者の葬儀に何度も参列した。「挙げれば切りがない。凄惨(せいさん)な事件は多かった」と話す。

当時の写真を収めたアルバムを手に、事件を振り返る元米軍憲兵隊の秋本恵信さん=3日、埼玉県飯能市

沖縄

 その後、日米両政府は本土の基地を整理縮小する一方で、米統治下だった沖縄に基地を集中させていった。日本が主権を回復した52年、本土には13万ヘクタール以上の米軍専用施設があり、沖縄の約8倍だった。その後、山梨、岐阜両県の海兵隊が沖縄に移転するなどした結果、本土復帰する72年までには本土約2万ヘクタール、沖縄約2万8千ヘクタールに逆転した。

 沖縄には今も面積で在日米軍専用施設の約7割が集中し、2016年に当時米軍属だった男が逮捕された女性暴行殺害など、米軍関連の事件、事故が絶えない。

 秋本さんは沖縄の事件をニュースで見るたび、過去の事件を思い出し胸が痛むという。「沖縄の事件を対岸の火事とみるのは間違いだ。本土での事件を風化させず、苦しんでいる沖縄の人のことを考えなければならない」。基地問題解決に国民全体で取り組む必要性を強調した。

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