沖水に2年だけあった軟式野球部 30年ぶりに元球児集合

 【糸満・那覇】1987年の海邦国体に出場するため、沖縄水産高校に約2年だけ存在した軟式野球部で監督を務めた金城辰次さん(60)=豊見城市=の還暦を祝おうと、当時の部員ら約15人がこのほど、約30年ぶりに那覇市内の飲食店に集った。甲子園を目指して沖水野球部に入部した約20人で結成した軟式野球部。「翔洋倶楽部」として海邦国体に出場し、準優勝した。軟式野球に納得がいかなかったメンバーもいたというが、「30年前の話。久しぶりに会えてうれしい」と恩師の還暦を祝い、思い出話に花を咲かせた。

 沖水軟式野球部は、海邦国体の少年の部での優勝を目標に結成された。体育の臨時教諭として勤務していた金城さんは「甲子園を夢見て沖水に来た生徒たち。当時、栽弘義監督と一緒に説得した。今でもすまないと思う」と振り返る。

 創部当初の85年は、国体の九州ブロック予選で敗退。しかし、86年の山梨国体でベスト8、海邦国体では準優勝を果たした。金城さんは「国体の地元開催で、すごいプレッシャーだった。たった2年で結果を残すのは大変だったが、準優勝は誇れる成績だ」と当時の部員たちをたたえた。

 上原直樹さん(49)は「『軟式に』と言われ、かなりひねくれた。金城先生は鬼監督で練習は地獄だった」と苦笑いする。

 山川光浩さん(48)は海邦国体の後、硬式に戻った。甲子園に出場し、ベスト4まで勝ち残ったメンバーだ。「硬式では2年生は背番号をもらえないし、試合にも出られない。ボールは違うが野球ができて楽しかった」と話した。名古屋から駆け付けた屋部洋之さん(48)も「国体で準優勝でき満足だ。県外遠征も多く、いい経験ができた」と懐かしそうに話した。

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