日露戦争で姫路に収容、ポーランド人捕虜の手紙母国で保存判明 故郷への思いや暮らしぶり伝える

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フランチシェック氏の実子で唯一存命のテオジア・ベルゲーさん(コバリック・レイコさん提供)

 日露戦争(1904~05年)中、ロシア兵として兵庫県姫路市に収容されていたポーランド人捕虜の手紙が母国で保存されていることが、同市のNPO法人「姫路タウンマネージメント協会」の調べでわかった。手紙には家族への送金依頼や故郷を懐かしむ様子などがつづられている。戦後に帰国した捕虜の孫は「捕虜への人道的待遇に、心より感謝します」とのメッセージを姫路市民に寄せた。(伊田雄馬)

 同NPOはロシア兵捕虜と姫路の交流を町おこしにつなげる活動に取り組む一方、捕虜に関係する歴史の掘り起こしも進めている。その活動を知ったパリ近郊在住の日本人女性、コバリック・レイコさん(47)が5月、「ポーランド人の夫の家系に、日露戦争中、姫路で一時期を過ごした捕虜がいた」との情報を寄せた。専門家によると、当時の捕虜の暮らしぶりがうかがえる資料は貴重という。

 コバリックさんの協力で調査を進め、捕虜はフランチシェック・ビンケビッチ氏(1880~1938年)と判明。ロシア統治下のポーランドに生まれ、ロシア軍の兵士として中国・旅順に配置された。

 同地は、数カ月にわたる日本軍の激しい攻撃の末に陥落。フランチシェック氏らは大連港から船で移送され、姫路に到着したとみられる。孫のミエチェソワフ・ビンケビッチさん(68)は、祖父が日本から送った手紙や写真、日本製のアルバムなどを保管していた。

 手紙では、家族に無事を告げ、感謝の言葉や日々の暮らし、同居人などについてつづっていたほか、「故郷に帰る際の服や靴の購入費用を送ってほしい」と家族に依頼。「お札や銀では手数料を両替商に取られますが、金だと手数料が要りません」と金貨を送るよう求める一文もあった。

 姫路では地域住民と記念写真を撮って交流を深め、姫路城も見物した。ミエチェソワフさんは姫路市民に感謝を伝えたという。

 帰国したフランチシェック氏は1909年に結婚し、5人の子を残した。唯一存命の四女テオジア・ベルゲーさん(96)は幼少期に父から日本語の1から10の数え方を教わり、今も親族の前で披露するという。

 同志社大学嘱託講師桧山真一さん(日露交渉史)は「識字率の低さもあり、ポーランド人捕虜が書いた手紙や日記、回想記などは極めて少ない」と指摘する。同NPOの田中達郎理事長(90)は「ロシア軍捕虜が姫路に伝えた野菜のビーツで、ポーランド料理を開発するなど、町おこしにこの縁を生かしたい」と話す。