廃線から半世紀...帰ってくる警笛 沼尻軽便鉄道、29日に記念事業

 廃線から半世紀、福島県猪苗代町を駆け抜けた沼尻軽便(けいべん)鉄道のディーゼル機関車が警笛とともに一日限りで帰ってくる。軽便鉄道の元従業員や町民有志でつくる「沼尻鉱山と軽便鉄道を語り継ぐ会」は29日、町内の緑の村に保存されてきた列車に乗って、軽便鉄道の在りし日の姿を追体験する記念事業を繰り広げる。

 記念事業では、50年ぶりに警笛を鳴らし、ヘッドライトを点灯する。実際に列車が動くわけではないが、乗客は車内で当時の映像を見ながら川桁発・沼尻行きの運行を追体験し、タイムトラベル気分を味わう。

 軽便鉄道は安達太良山の沼尻鉱山から産出された硫黄運搬のため1913(大正2)年に開業。「マッチ箱」の愛称で親しまれ、猪苗代町の川桁と沼尻間の15.6キロ、5駅と6停留所を結んだ。軽便は沼尻鉱山の硫黄を川桁駅で国鉄(現JR)磐越西線に載せ替え、沼尻・中ノ沢温泉の湯治客や沼尻スキー場の利用客を運ぶ観光鉄道としても栄えた。

 だが、時代の流れに逆らえず、硫黄鉱山の閉山に伴って1968(昭和43)年に廃線となり、今年で50年が経過した。語り継ぐ会会長の出口陽子さん(85)は家族が鉱山に勤めていたため、鉱山の従業員の町で生まれ育った。出口さんは「にぎやかに仲良く暮らした長屋の仲間が、次々と山を下りていった」と当時を振り返る。

 記念事業で運転席から警笛を鳴らすのは、廃線の際の最終列車を運転した副会長の半沢武男さん(88)。半沢さんはかつて、結婚当日に車両を貸し切り、住まいのある荻窪駅から妻の重子さん(81)が住む会津下館駅へ迎えに行く「軽便結婚式」を挙げた。半沢さんは住民と除雪しながら運行を続けていた当時を振り返り「困難も多かったが、住民と力を合わせてやっていた。半世紀は早いものだが、記憶を語り継いでいきたい」と事業に期待を込める。

 語り継ぐ会は「一日限定の復活」のために、車両を製造した福島市の協三工業に協力を依頼し、警笛とヘッドライトを修理した。「試運転」で警笛の音を耳にした出口さんは「楽しかった思い出ばかりよみがえって涙が出る」と感慨を語る。半世紀ぶりに警笛を響かせる軽便鉄道には、たくさんの懐かしい思い出が詰まっている。

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