健軍神社の木に銃弾3発発見 西南戦争で両軍使用か

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健軍神社の境内にあったヒノキの中から見つかった銃弾。主力武器として使用されたスナイドル銃の弾とみられている
健軍神社の参道にあったスギの中に打ち込まれた銃弾(中央)。右側は空洞になった幹の中心部分

 1877(明治10)年の西南戦争に使われたとみられる銃弾3発が、熊本市東区の健軍神社にあった木の中から見つかった。同戦争を巡っては、一帯で「健軍・保田窪の戦い」が起きており、市文化振興課は「健軍方面で激戦があったことを裏付ける新たな史料」としている。

 3発のうち1発は今年5月、過去の台風で倒れた境内のヒノキを業者が製材中に発見。残る2発も、同じ業者が落雷や虫食いによって傷んだ参道のスギを伐採し、状態が良かったものを希望者に切り分けようとして見つけた。

 見つかった銃弾は同課植木分室に持ち込まれ、同課の美濃口雅朗・文化財保護主幹兼主査(57)と熊本博物館の中原幹彦学芸員(61)が確認。打ち込まれていた位置の外側に刻まれた年輪から、西南戦争当時の銃弾であると推定した。

 種類については側面がのこぎりの歯のような形状であることなどから、政府軍と薩摩軍が主力武器として使っていた単発後装式スナイドル銃の弾とみている。

 スギの銃弾は根元から約2~3メートルの高さに東側から1発、西側から1発打ち込まれており、美濃口主幹兼主査は「両軍が打ち合った可能性が高い」と指摘。「西南戦争中に起きた大きな市街戦の史料を市として把握できたのは初めて」としている。

 同課によると、西南戦争の史料として健軍方面でこれまでに見つかっていたのは、健軍神社周辺の塹壕[ざんごう]跡だけだった。

 東区で社寺を専門とする建築会社を経営し、3発の銃弾を見つけた黄檗賢二さん(65)は「最初から西南戦争の銃弾だと思っていた。銃弾は市に寄贈し、たくさんの人に見てもらいたい」と話していた。(木村恭士)

(2018年9月19日付 熊本日日新聞朝刊掲載)