【特集】石破茂氏の「存在感」

記者会見する自民党の石破茂元幹事長=2018年8月17日午後、国会
石破茂氏

 自民党総裁選の結果、前評判通り安倍晋三首相が20日、連続3選を決めた。石破茂氏は6年前のように国会議員の決選投票まで持ち込むには至らなかったが、「善戦」したとされる。歴代首相の中で最長政権を視野に入れ始めた安倍氏に対して、石破氏は今後どのように距離を取り、政界の中で存在感を示していくのだろうか。過去の取材を振り返った。

(共同通信=柴田友明)

 田中派秘書時代の石破氏

 石破氏と以前、こんなやりとりをした。第1次小泉内閣の防衛庁長官(2002年~04年)だった石破氏に、防衛担当記者だった筆者は「木曜クラブ(田中角栄氏の派閥名)の秘書だったとき、どんなことを学びましたか」と尋ねた。

 庁舎内でそれまで1対1で防衛論を熱心に語っていた石破氏は一瞬押し黙り、同じような言葉を繰り返した。「何も学ぶことはなかった」「学ぶことは何もなかった…」

 慶応大を卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)を経て政界入りする前の1980年代前半、最大派閥の田中派事務所で石破氏が事務方をしていたことは知られている。この時代、取材を担当していた政治部OB記者の1人は「(砂防会館の)事務所で『おーい、石破君。コピー頼むよ』と声を上げると、軽快に走ってきて、こまめに働いてくれた」と20代の石破氏の仕事ぶりを覚えている。派閥事務所で〝ぞうきんがけ〟に励んだ時代。石破氏は自分史の中でどう位置づけてきたのか、興味があるところだ。

富山県射水市で街頭演説する自民党の石破元幹事長=2018年9月12日

 だが、全盛期の田中角栄氏や派閥の重鎮・若手たちの日常を間近で見てきた石破氏は「角さんとの思い出話」をノスタルジックに語るキャラではなかったようだ。

 どこか冷めた目で、旧来の自民党政治の中枢を見てきたのではないかと、「学ぶことなし」の発言を得て、筆者はそう思っている。その後、閣僚や幹事長など要職をこなしてきた石破氏が、ほかのメディアの取材に田中派の事務方だったころを振り返り、自身にとって「原点」だったと語っている紙面を見たが、具体的なエピソードはなかった。

 防衛専門だが…

 今、もう一つ取り上げることは、石破氏は、日報問題で話題になった自衛隊イラク派遣の際の防衛相だったことだ。率直に言って、制服組からは不人気であった。軍事知識に詳しく、自衛隊幹部や防衛官僚にさまざまなことを尋ね、石破氏なりに判断を示してきたことは間違いない。

 しかし、防衛相として派遣部隊への視察を何度も綿密に検討しながら、実現には至らなかった。当時の与党の公明党代表は視察したし後任の防衛相らも現場に足を運んでいる。何人かの幹部らは石破氏の決断力に不満を漏らしていた。

 当時の内局幹部の1人はこんなエピソードを紹介した。大臣室に説明に行くと、石破氏が麻生幾氏の著書を傍らに置いているのを目にした。日本の危機管理や有事体制などをテーマにした麻生氏の作品に膨大な量の付箋がびっしりと挟まれているのを見て驚いた。「それは(大臣の)教材ではないよ」と、その幹部は思ったという。

 二度も防衛相を務めながら、以上のような話が聞こえてくる。「ポスト安倍」を担う存在感を示すためにも、さまざまな課題があるようにも思える。

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