【平成の長崎】「被爆カキの木を残して…」 樹勢衰え治療へ 長崎の諌山さん 両親の遺志受け継ぎ 平成6(1994)年

 原爆の熱線を浴びて一瞬に炭化した跡を幹に残す長崎市若草町の元小学校教諭、諌山浩司さん(58)方のカキの木の樹勢が衰え、市内の樹木医の手で5月17日から外科手術されることになった。土壌障害などで、放置すれば枯れてしまう運命だったがカキの木と同様、爆死を免れた両親の「何があっても残して」との遺志を諌山さんが受け継いだ。
 木は5本。樹木医の海老沼正幸さん(45)の診断によると、樹齢約150年。根元が踏み固められ、木が腐る腐朽菌に侵されているのが弱った原因。原爆で木の上のほうが吹き飛ばされたことを証明する変形も見られ、2本の木の幹には熱線で焦げて炭化した跡がくっきり残り、原爆を告発している。
 諌山さん方は爆心地から約900メートル。住み始めた昭和24年当時、5本とも既にあり、現在より枝ぶりも良かった。だが最近は葉が大きくならず、枝先が枯れる症状が表れていた。
 諌山さんの両親が健在なころ、車の進入路を造るためカキの木を切る話が持ち上がった時、父親が猛反対。結局、両親は「絶対切るな」と言い残して亡くなり、諌山さんは姉たちとともにこのカキの木を残そうと誓い合ったという。
 手当は当面、一番弱っている木の幹の外科手術、根の処置などを約1週間かけて行う予定。諌山さんは「手出し予算の都合で一度に全部を治療できないが、私が生きている間に順次樹勢を取り戻させ、2世も残したい」と話している。
 諌山さんの父は原爆投下時、国鉄長崎管理部の厚生課長。長崎駅を出て15分後に現在の公会堂付近で被爆、助かった。母親と諌山さんら子供3人は、被爆40日前に浦上天主堂前の官舎から引っ越した長与駅前の官舎で被爆、無事だった。
(平成6年5月15日付長崎新聞より)
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【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

熱線を浴びて焦げた跡を残すカキの木=長崎市若草町

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