9年間の現役生活。締めくくりの舞台に用意されたのは、加賀が追い求め続けた真っさらなマウンドだった。
打者1人に限られた真剣勝負。「何を、どう投げたか覚えていない。9年間の思いを一球一球に込めた」。リーグ打率2位の平田をアウトローの直球で追い込み、内角のスライダーで空振り三振。万雷の拍手を背に、マウンドを去った。
入団1年目の2010年、“暗黒期”にいきなり任されたのも先発だった。防御率3・66ながら援護に恵まれず、3勝12敗。2年目以降は主に中継ぎに回り、晩年はバレンティンら「助っ人キラー」として、窮地を何度も救ってきた。
走り込みに、ウエートトレーニング。試合前練習では、内野ノックを受けて投球フォームの下地を整えた。練習の虫は大家投手コーチから「練習のし過ぎ」と止められるほど。「1年目に負けた悔しさはある。先発に戻りたい」との思いを胸に秘めていた。
今季は2軍で22試合を無失点に封じたが、33歳は体の衰えも実感した。球速アップを狙い投球フォームを微調整。右肩周辺に痛みが走り、7月下旬から約1カ月間、実戦から遠のいた。
ファンに届けた最後の言葉も律義だった。「目立たない自分に大きな声援をいただき、力になりました」。真面目一徹な右腕が、ユニホームを脱いだ。