ロッテ福浦が2000安打達成 地元ファン、同期の西武・松井の前で鮮やか二塁打

2000本安打を達成し西武・松井稼頭央から花束を受け取るロッテ・福浦和也【画像:(C)PLM】

前日21日に1999安打、「眠れなかった」と緊張も地元で達成

■ロッテ – 西武(22日・ZOZOマリン)

 ロッテ福浦和也内野手が22日、ZOZOマリンで行われた西武戦で史上52人目の通算2000本安打を達成した。8回先頭で打席に立つと、左腕・小川が投じた7球目スライダーを右翼線二塁打とした。

 前日21日に難敵の左腕・菊池雄星から第3打席で左前打で王手をかけた。さすがに「眠れなかった」と緊張を隠せなかった福浦だが、「リーチ一発で。あまり長引くと(首の)痛みの再発とかもある。何とかマリンで達成させてあげたいの思いはあった」と言う井口監督に応え、本拠地ファンと喜びを分かち合った。

 ロッテの生え抜き選手では榎本喜八、有藤道世に次ぐ3人目の偉業。テレビ解説で球場を訪れた有藤氏の目の前で、そして年齢も入団年も同じで「すごく励みになる存在」という西武・松井稼頭央の前で、見事に決めて見せた。

 地元・千葉の習志野高から1993年ドラフト7位で投手としてロッテに入団。2軍では1試合も登板することなく、1年目の7月に野手に転向した。「クビになるという怖さがいつも付きまとっていたから必死になれた」と語ったように、努力でここまで這い上がった。今でも試合後は最後まで球場に残り、ウエート室でトレーニングを欠かさない。

 1軍初安打は4年目の1997年7月5日のオリックス戦。秋田遠征中の前夜に当時の山本功児2軍監督(故人)から1軍昇格を伝えられ、翌朝飛行機に飛び乗った。デーゲームで「7番・一塁」でのスタメン出場。4回にフレーザーのインコースに詰まりながらも中前に落ちるヒットが、2000本のスタートになった。山本2軍監督は、その後ロッテの1軍監督に就任したが、2016年4月23日、64歳で亡くなった。

 投手から打者へ、21年間のプロ野球1軍人生の道を開いてくれた恩師への手向けになった。(細野能功 / Yoshinori Hosono)

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