2000本安打の“幕張の安打製造機” ロッテ福浦を読み解く9つの数字

ロッテ・福浦和也【写真:荒川祐史】

守備も巧み、盗塁は苦手、「ミスター二塁打」……偉業までの足跡

 ロッテの福浦和也が9月22日の西武戦で史上52人目の通算2000本安打に到達した。ヒットにまつわるエピソードは事欠かず、そのプロ野球生活では他にも多くの数字にまつわる物語を生み出している。ここでは、様々な数字をキーナンバーとして“幕張の安打製造機”の足跡を振り返りながら、新たに樹立された大記録に華を添えたい。

◯「3」
 近年は指名打者や代打での出場がメインだが、一塁手としてゴールデン・グラブ賞を3度(2003年、05年、07年)受賞している。通算での14373守備機会に対して失策は73、守備率.995と堅実そのものだ。打力が求められるポジションだけに、2000本安打到達者のうち、主に一塁を守った選手は12人と多い。福浦選手は20代でわずかながら外野を守る機会もあり、レフトを24試合、ライトを57試合こなしている。

◯「10」
 走塁のイメージがあまりないように、通算10盗塁は2000本安打到達者で最少。次に少ない阿部慎之助(巨人)の13盗塁を追い抜けるかは、ファンにとっては新しい隠れた楽しみかも。ちなみに内野安打は110本で、168併殺打を喫しているのは打球の速さも関係している?

◯「19.4」
 鋭い打球を広角に飛ばして外野手の間を割る。ツーベースの多さは福浦の打者としての大きな特徴だ。03年には50本、04年にも42本と2年連続でリーグ最多を記録している(02年も40本で、3年連続40本以上は史上最長)。プロ入り後に放った388二塁打は全安打の19.4%を占め、これは2000本安打到達者でも6番目に高い割合であり、トップの稲葉篤紀(19.8%)と比べても遜色ない。

◯「72」
 2003年にリーグ4位の72長打を記録した。とはいえ先述のように内訳の大半が二塁打で、福浦選手はパワーヒッターではない。通算118本塁打と長打率.395は2000本安打到達者52人で、ともに48位だ。通算打率.284は32位と、大打者に交じっても中位に位置していることは、歴代屈指の巧打者であることの証左だろう。

◯「665」
 2000本の安打を打球方向別に見ると、最多は千葉ロッテのファンが応援する右翼への665本。中堅566本、左翼496本、右中間88、左中間73と続く。プロ初安打と通算1000安打はセンター前へのヒットで、名球会入りは右翼線への一打で決めた。

01年の首位打者 在籍年数&出場試合異数は球団最長の“鉄人”

◯「.346」
“イチロー後”として誰が首位打者を獲得するか注目を集めた01年に、リーグトップの打率.346をマーク。9月14日時点では打率.326と、打率.344の小笠原道大(当時日本ハム)にリードされたが、最後の13試合で10度(3安打3度、4安打1度含む)のマルチ安打を記録してつば競り合いを制した。翌年以降も打率.300(リーグ8位)→.303(15位)→.314(9位)→.300(11位)→.312(5位)と推移し、6年連続で打率3割をクリアしている。

◯「70」
 1993年ドラフト7位でロッテに指名されて着用したのは背番号「70」。投手としては肩の故障もあり、1年目途中から2軍でも登板機会がないまま打者へ転向した。1軍デビューを果たした翌98年からは現在の9を背負う。背番号変更前は1軍での67試合で63安打を放ち、2軍では4年間で116安打を放っている。

◯「25」
 在籍25年は球団最長記録。湯浅禎夫の保持する出場記録(48歳1か月)更新にはあと5年が必要だが、今年の12月に43歳となる福浦が来季にヒットを放てば、若林忠志が持つ安打記録(43歳4か月)を塗り替えることになる。二塁打や本塁打、打点なども同様だ。

◯「2162」
 今季、4月10日の西武戦(ZOZOマリン)で球団通算最多となる2162試合目の出場を果たす。通算2000本安打の先輩でもある榎本喜八の記録を塗り替えた試合に「7番・指名打者」でオーダーに名を連ねると、7回には左翼線の横に落とす二塁打を放ち、チームの勝利に貢献した。通算76犠飛と93死球も千葉ロッテの球団最多記録で、榎本の403二塁打まで15本に迫る。(「パ・リーグ インサイト」藤原彬)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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